確か勝つは理由が分からないこともあるが、負けは理由がないことはないみたいな言い回しがあったはずです。うろ覚えですが。
それでいえば、成功と失敗ってあまり好きな言葉ではないですが、その上で言えば、成功は要因が分からない(後付けは可能)けど、失敗はその原因が分かるというか。そんな感覚があります。
とはいえ、毎日失敗していれば、無意識レベルで失敗をしているかもしれず、一方でそれだけではなく、そこから学習する、こうしたらどうかなを入れいていくのが大事ではないかと。
今回はそんな話です。
毎日成功する人は多分ほぼいない
これはアウトプットの出し方によります。単に、関係性のある友人や身内などでも「はは、失敗しちゃったよ」ということは稀な気がします。毎日「天気がいいですね」みたいな挨拶レベルで、「失敗した話」ってしないですよね。という感覚が僕にはあります。どうでしょうか。
そこでいえば、況やというところで、関係性が薄いところ、職場でもやや遠いというところでいえば、色々な人と「失敗した話」なんてしないと。だけど、「成功した話」ならしやすいと。これって単なる人間心理じゃないかと。
つまり、あらゆる状況で少しだけ、失敗より成功話がしやすい、機会が多い。だからこそ、世の中には成功話があるけど、失敗話は出てこない。
それだけなので、出てこないからないかというと・・・?
手抜きですが、アイデアでいえば、
ここで、可視化されたアイデア=成功話で、失敗話とは水面下=不可視といってもいいわけです。
それくらい見えない。だからないと思う。けど、実際はある。
失敗から学ぶことは実は体験者しかしづらいのではないか
人の成功話を聴いて自分もやろうというモチベーションくらいは全然ありだし、啓発的にもなるのは良く分かります。
ですが、そこから学べるかは結構怪しくて。成功した体験がないし、しかも人の話です。下手すれば自慢話を聞かされたくらいで嫉妬しかないというか(笑)
では、失敗話はどうか。これも怪しいんです。なぜなら自分が失敗したわけではないので、痛みもない。冒頭の話は人の話としてでなく、自分がそういう経験をして初めて言えることかなというわけです。
なぜ失敗をしていいのか
正解でもなんでもなく、僕の意見です。
失敗をしていい理由なんて言わなくてもいいかもしれませんが、世の中的にこういうレベルの哲学や思考の免疫が弱くなっている気がします。相対的に僕が感じているだけなので、ソースはありません。
その上で、失敗していい理由とか、なんで失敗がいいのかというところでいえば、無駄な失敗、明らかに例えば対戦ゲームで「やる気がないプレイ」みたいなところでない、作為的意図的な失敗ではないという前提で。
その上で、失敗したら、そこから学べるし、それはチャレンジなので次またやればいいし、その過程に過ぎないからです。失敗というスナップショットを切り取ってどうこういうことってあまり筋が良いとは思えないってことですね。そこを殊更強調してしまう人はおそらく、全体が見えないか、その失敗ラベルをつけられる恐れがあったり、人からどう見られるかばかりですね気にしてしまうのではないかと。それは誰でもあるので全部駄目ではないんですが、それで「失敗」がまだないのにそれを恐れて「動けない」というのが最もまずいわけです。
失敗することで、その理由やどうすればいいだろうかを考える機会も生まれるわけです。それは学習の機会とまさにそのものとなります。
99%失敗するくらいでも良いと思っていて、うまくいったらラッキー。その失敗があっても、そこから99%ですけどすべて学びに変えるのはちょっとむずかしい。でも、そこから一部でも学べれば、失敗→学びを繰り返して言って、それこそ、失敗がおやつというかご褒美ですらあるといえると。
さらにそこから失敗→学び→成功というところにつながるサイクルとなると、どんどん失敗していってもいいとなるのかなと。まさにマインドセットやメンタル的な話になるのですが、これが出来ていないところで、いきなり成功とかはないでしょうし(そもそも失敗行動、経験、挑戦が出来てないので)、出来ていたらそれは何か下駄を履いた(他人の上にのっているだけであり、自身の実力でないということ)状態でしかないでしょう。
僕も毎日失敗だらけです。そうやって失敗しているということは、実は挑戦して行動しているということでもある。そこから少しでもうまくいくとか、学びがあるのが面白いんじゃないかと。
この考えかたや感覚がどういうフェーズの人に刺さるかは分かりませんが、起業初期などでは有効だと思っていて、一方で初めて行動量が少ないと分からない感覚かもしれません。