ども~、皆さん元気い~~!
「さぁ、もっと幸せに!」が、このブログのテーマです。
(前回ブログに引き続き)まだ5月22日です。午後はマラガ。天才パブロ・ピカソが誕生した地です。
15時過ぎ ペンション“TERMINAL”到着
部屋で少し休憩して、徒歩で公園を通って「アルカサバ」へ向かいました。
ふっと現れたのが「ローマン・シアトレ」と呼ばれる円形劇場です。1951年、土の中から現れたそうです。紀元1〜3世紀に使用されていました。
イタリアローマの「コロッセオ」(円形闘技場)と似ていますね。
17時半。でも夕暮れの気配すらなし。
せっかくだから、「アルカサバ」+「ヒブラルファロ城」の共通チケットを買って両方とも行ってみよう!
マラガの要塞「アルカサバ」は、今日午前に見たばかりのアルハンブラ宮殿よりも3世紀も早い11世紀の建造です。
アルカサバへの入り口ブース内の模型を見て、アルカサバを抜けて”ヒブラルファロ城”にも行けるものと思いきや、どれだけ坂道を上がっても近づいている雰囲気がありません。結局、たどり着けませんでした。
下調べ不足でした。どうも”ヒブラルファロ城”の入り口はまったく違うところだったようでした。
マラガは港湾都市でもある
せっかくの共通チケットは、お城では使うことなく(ムダにして)、退散。
のどの渇きと疲れを癒やすため、観光地バルで簡単に腹ごしらえです。
まだまだ明るい。
そうだ。「ピカソの生家」に行ってみよう!
ピカソ生家 2階にあったらしい
初期のピカソは画風が全然違う
ピカソの両親の写真
“ピカソ”は母方の名前から取っています。ピカソにとっては、お母さんの影響が大きかったのかな?と思います。
ピカソは1881年10月25日、このマラガに生まれました。はじめての子どもであるピカソを溺愛していた母親の言葉を、ピカソはさまざまな場面で語っています。
『わたしが子どものころ、母はこう言った。「兵士になれば、おまえは将軍になるだろう。修道士になれば、いずれローマ法王になるだろう」
わたしは画家の道を歩み、ピカソとなった。』
お母さんは、ピカソに「あなたは成功する」と、確信を与え続けたのです。
お父さんもすごい人です。
ホセ・ルイスは、画家であり、美術教師、修復家でした。
1894年ピカソ13歳の時、絵の道具を息子に譲り、自らが描くことをやめてしまいます。
自分よりも素晴らしい才能をもった息子への賞賛が原因とされています。ピカソのために稼ぐことに専念しようとしたのだと思います。
そしてピカソは、91歳で生涯を閉じるまでに約15万点の絵、デッサン、版画、彫刻や陶器を製作しました。最も多作な画家としてギネスに認定されています。
20世紀を代表する天才画家パブロ・ピカソ。しかし、この両親なくてはこの天才は生まれなかったと言い切れます。
子どもの能力を信じて疑わず、親としてできることを何でもする。子どもはその親の気持ちを理解して頑張る。
実にシンプルなことですが、でもとっても難しいことですね。
5月22日、グラナダからマラガへ。かなりの活動量でした。
女子会?
まだまだ夜は長い!僕は帰るけど
またこの日もGoogleムーブリングが600kcal越え(634kcal 21,149歩)となりました。
これからも「四柱推命」を活用しながら、皆さんの幸せのお役に立ちたいと思っています。
次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。