2026年3月2日夜。
前日に闘鶏に連れて行かれて、命を落とした子を泣きながら月明かりの下で埋葬して、この日の私はかなり落ち込んでいました。
しかし、他の子の世話があり、泣いている場合ではありませんでした。
鶏が20時前に夕食を終えて、蚊帳をかぶせて、害獣の襲撃対策などもすべて終えて、鶏の1日の世話が終了。
そして、その鶏の世話をしている横にべったりついて回っているのが、大家さんの飼い犬。放し飼いで自由にさせてもらっているものの、ご飯は1日1回、残飯があるときだけ。しかも、窓から犬に向かって揚げ餃子を2つ投げる、な雑なあげ方。
当然いつもお腹を空かせていて、私が掃除して集めた鶏糞を食べて飢えをしのぐ始末。
この日、犬のために冷凍肉を茹でていたのですが、茹で上がる時間を待っているのも勿体無いので、ゴミ出しに通りまで歩いたのです。
ネグレクト犬はピタリと私についてきました。戻ったらご飯をあげる、という言葉は当然理解せず。とにかく私に着いていけば何か食べられる!と思い込んでたのでしょう。
そして、私の眼の前で車にはねられました。
車はひき逃げ、犬は痛みに泣き叫び、近所の人が駆けつけました。私は1度ダッシュで家に戻って大家さんを呼びに行くと「死んだ?」と聞かれました。
「死んでないけど、大怪我できっともう一生歩けない」と伝えるとすごい苦い顔になりました。きっと骨折しているので、抱きかかえるときっともっと痛がるだろうと、1輪車を借りて事故現場に走って戻りましたが、飼い主の大家さんは来ない。。。
近所の人に手伝ってもらって、一輪車に大家さんの黒犬を乗せて、大家さん宅へ戻りました。
そして大家さんに病院に連れて行きましょう、と声をかけると「お金もったいないから嫌」と即答。さらに1輪車から犬を降ろせ、明日も使うから、と言われて硬いコンクリート床にそのまま寝かせる。。
見かねて私が自分の古い枕を持ってきて敷いてやって寝かした時、足が異様に冷たくなっているのに気がつきました。頭を撫でると鼻先も冷たい。おしりから出血。。。もしかして内臓破裂したんじゃない?
事故直後はギャン泣きしていたのに、苦しそうに喘ぐだけ。慌てて水で顔をぬぐってあげて、声をかけるものの、呼吸はさらに弱くなり、そのまま私に撫でられたまま息を引き取りました。
そして翌朝、大家さんとその奥さんに「お寺にお参りに行ってタンブン(喜捨)しましょう」と声をかけられたものの、鶏の世話があるから、で断って、大家さん、奥さん、うちの旦那3人で近所のお寺へ。
その間、息を引き取った犬は相変わらず床の上へ放置。戻ってきたら職人さんに命じてブルトーザーで穴を掘って埋葬。埋葬に立ち会ったのは私と、番いになってた近所のオス犬だけ。。。
お前ら、寺で祈れば自分たちが犬や鶏にやったことチャラになるとでも思ってるんか?!
暫く私は「どうして先にご飯をあげてからゴミ出しに行かなかった?!」「どうして通りに出た時すぐに連れ戻さなかった?!」と自分を責めて、ご飯も喉を通らない状態でした。なのに大家さんは。。
犬を飼っているタイ人の友人たちに今回のことを話すと、皆口々に私が自分を責める必要はない、と言った後に
「あなたは良いことをした」「その犬はあなたのおかげでネグレクト飼育のカルマを終えることができた」「最初から決まっていた寿命なのにあなたがその子のカルマを変えた」とタイの小乗仏教的な考え方で励ましてくれました。
ネグレクトの黒犬は飼い主から愛情をかけられず、見向きもされないで命を終わる予定だったのに、最期には私が鶏にしてあげるのと同様に心を込めて撫でられ、優しい言葉をかけて、最期を看取ったことで、次の来世は私が言った「もっと裕福で愛情と責任ある人に出会うんだよ」「次はポメラニアンやチワワ、トイプードルを選びなさい」の言葉を受けて、もっと良い環境、もっとお迎えしてもらいやすい犬種で生まれ変わることができるそうです。
それで私は大家さんに対しての怒りをなんとか鎮めました。
今、3月の私のように「もっとああしてあげればよかった」「あんなことしなければよかった」「もっとしてあげられることあったんじゃないの?」と旅立ったペットちゃんのことでご自分を責めている方へ。
タイの小乗仏教的な考え方だと、最期がどうだったか?で次の来世が決まるそうです。
*愛情をかけて世話した=>愛されて愛を知ったので更に人に生まれ変わるポジションに近づく(次に人に生まれる!と言うわけではないですが)
*毎日名前を呼んでいた=>自我が確立して、より高度な動物へ。
(これは犬から馬に出世、と言うのではなく、普通の飼い犬=>超セレブな家で飼われている犬、セラピードッグ、災害救助犬、盲導犬、警察犬的なポジションアップ)
*最期を一緒に過ごした、撫でた、声をかけた=>タイではこの「最期の時」が非常に重要だそうで、「安心して最期を迎えた」=「良い旅立ちを整えてくれた」となるそうです。そしてそこで終わった犬生や猫生、鶏生での苦しみのカルマが終了。来世はその苦しみのない、もっと良い命で生まれ変わることができるとのこと。
→いいえ、私は仕事に行ってしまって、あの子は自宅で一人で亡くなったのよ。。という場合も、いつもの日常を過ごしてきた自宅に寝かせてくれていた場合は、やはりペットにとっては「安心の場所で最期を迎えることができた」となるので、このケースも含まれます。
それでもまだ心に重く刺さっている後悔やペットちゃんの最期は
どんな気持ちだったのか?などやっぱり知りたい!という方には
ペットちゃんに関するご相談を承っております。
生年月日がわからないペットちゃんでもなくなった年月日と時刻が
わかればホロスコープを作ることが可能です。
そこからその死がどこへ進んでいくかを辿ることができます。