イントロ
僕は高校まで、比較的楽観的に生きてきた。
気の向くままに好きなことをやりたいときにやるような性格だった。
そして、物事の決断もノリと勢いみたいなところで押し切っていた。
しかし、大学生になってから何だか腰が重くなったと感じる。
「将来」という大きなものが上から降ってきたせいで、僕は今までのように軽く動くことができなくなってしまった。
何か物事を決めるときにも、目的がなければ不安になるし、できるなら石橋を叩いてから渡りたいと思った。
また、自分が向かう方向を見失うこともよくあった。
たくさんの橋と霧と、ある光
このような状況で、僕はこのようなことを感じた。
霧がかっていて周りを見渡してもよく見えない視界。
色々な石橋が周りにはあるけど、その橋がどこにつながっているのかは霧のせいで見えない視界。
是非想像してみてほしい。
「結果がわからないから、怖い。」
「やってみようか迷う」
というのは、今立っている場所には橋が何本もあるが、そこにはもやもやした霧があって、視界を悪くしている感じがしないだろうか。
(この霧は主に、将来への不安や不透明さだと思う。)
経験が少ないが、選択肢は広い学生は、このような状況に陥りやすいとなんとなく感じている。
僕もその一人であり、よく苦しんでいる。
ただ最近、大切なことを思い出した。
それは、高校時代に僕が常に求めていた「わくわく」感だ。
このわくわく感なしに、「将来的に見ると、、これかな。」と選択をしていたときは、基本失敗した。
嫌いなことをやるのは、以外に大事だったりするがそれはあくまでやりたいことをやってる場合だ。
つまり、わくわく感が結局自分を導いてくれるのではないかということだ。
周りは霧がかっていて、たくさんの橋の向こうには何があるのかわからない。ただ、どこか向こうに光っているものがある。光っている方向はわかるけど、それが具体的にどこにあるのかは見えない。ただ、微かに光っていることはわかる。
それがわくわく感であり、僕たちを導いてくれるものではないだろうか。
僕の中ではそのようなイメージが心の中である。
経験値が少ない学生にとって、大人が頼れる存在かもしれないが、結局決めるのは自分だ。
大切なのは、自分のことを一番理解しているであろう心に耳を傾けることだと思う。
意外に自分のことをわかっているようでわかっていないときが多い。
やってみて、「あ、自分こうかもな」って思うことが学生のうちは特に多くて、とても大切なことだと思っている。
だからこそ、自分を導いてくれるような光を探して、そこに近い橋を渡ってみるのがいいかもしれない。光に近づいてみることで、もっと進みたいのか戻りたいのか分かると思う。
多分無駄なようで無駄じゃないことだと思う。
まとめ
経験値が少ない僕のような学生は、どのようにして前に進んでいけばいいのだろうということを、僕なりに考察した。
僕にとっては「わくわく感」というものが、光となって方向を教えてくれる。もちろん、その光が一つではないから選ぶのが難しい。しかし、その中でも強く光輝いているものに向けて足を進めてみる。
ここまで読んでくれてありがとう(ございます)。
あくまで僕の主観が入った考えなので、同じようなことで悩んでいる人は、是非大人の人にも相談してみてほしい。
やはり大人は偉大だと思うことがあったりする。
ただ、自分の声にもよく耳を傾けてみてほしい。
みなさんの光は何ですか?
それではまた。
このブログの他にも、テキストだけでの相談やビデオ通話での学習相談等も
受け付けていますので、お気軽にご相談下さい!
あなた目線で具体的な相談から漠然とした不安にも本質的にアドバイスいたします!
学生〜社会人向き
学生向き(AO受験、一般受験、学習相談)