昔の日本の家庭には、今ではあまり見かけなくなった「順序」がありました。
炊きたてのご飯を、まず家の主であるお父さんによそう。
おじいちゃんがいれば、おじいちゃんが一番風呂に入る。
食卓でも、家族の中で主になる人が上座に座る。
今の価値観から見ると、古い、男性を優先している、と感じる方もいるかもしれません。
けれど私は、昔の風習を何でもそのまま復活させたいわけではありません。見直すべきことは見直しながら、その中にあった大切な意味まで捨ててしまいたくないと思っています。
順序と、人間の価値の上下は違う
お父さんを先にすることは、お父さんが家族の中で一番偉いという意味ではありません。
夫がいて妻がいる。親がいて子どもがいる。会社には上司がいて部下がいる。
そこには、それぞれの役割と順序があります。
しかし、それは人間としての価値に上下があるということではありません。
夫だから妻より偉い。
親だから子どもを従わせていい。
収入が多い人の言葉の方が強い。
上司だから、部下を人前で怒鳴ってもいい。
そういうことではないのです。
順序を「自分の方が偉い」と履き違えたとき、関係は支配へと変わっていきます。
上に立つ人ほど、相手の尊厳を守る
先日、ある親子のやり取りを見かけました。
お父さんは息子さんに何かを聞きたかったようですが、その呼び方が、まるで人前で呼びつけるように私には聞こえました。
その場面を見ながら、私は息子さんの恥ずかしさを感じました。
相手を動かし、自分の言うことを聞かせることで、自分の立場を示そうとしてはいないだろうか。
会社でも、似たような場面があります。
上司が大勢の前で部下を怒鳴ったり、飲み会の席で延々と説教したりすることがあります。
もちろん、間違いを注意することや、失敗から学んでもらうことは必要です。
けれど、間違いに気づかせることと、人前で恥をかかせることは違います。
上に立つ人ほど、相手の尊厳を守る責任があるのではないでしょうか。
私も「わからせよう」としてきた
これは、誰かを批判するために書いているのではありません。
私自身も、相手にわかってほしい気持ちが強くなると、長々と話し続けてきました。
正しいことを伝えているつもりでも、心の奥では「私の言うことをわからせたい」となっていたのだと思います。
振り返ったとき、私の後ろに人がついてきてくれなかったと感じたことも、何度もありました。
大切なのは、正しい言葉をたくさん並べることではありません。
自分は今、相手を大切にして伝えているのか。それとも、自分の立場を認めさせるために伝えているのか。
そこを自分に問い直すことなのだと思います。
「敬いなさい」だけでは、心は育たない
私たちは、子どもの頃から「親を敬いなさい」「感謝しなさい」「生きているうちに親孝行をしなさい」と言われます。
けれど、その意味を教わらず、言葉だけを受け取ると、それはやがて罪悪感になることがあります。
親に迷惑をかけてしまった。
何も成し遂げられていない。
十分な親孝行ができないまま、親が亡くなってしまった。
そんな自分を、いつまでも責め続けてしまうのです。
でも私は、親孝行は生きているうちに完璧にできなければ終わりではないと思っています。
亡くなってからでも、ご先祖様を思い、感謝し、手を合わせ、自分の生き方を整えていくことはできます。
神様がいて、ご先祖様がいて、親がいて、今の私たちがいる。
その順序の意味を知れば、「敬いなさい」と恐れや罪悪感で自分を縛らなくてもよくなります。
感謝は、日常の小さな順序から育つ
たとえば神社へ行く日なら、ほかの用事を済ませたついでに立ち寄るのではなく、先にお参りをしてから用事や遊びに向かう。
炊きたてのご飯を、まずご先祖様にお供えする。
それは決まりだからするのではありません。
「まず食べていただきたい」
その気持ちを、行動で表すための順序です。
感謝や敬う心は、言葉で強制されて育つものではありません。
家庭の中で、誰を大切にし、何を先にするのか。その小さな行動を積み重ねながら、自然に育っていくものだと思います。
順序は、人を従わせるためにあるのではありません。
大切なものを大切にし、同時に、一人ひとりの尊厳を守るためにある。
古いからとすべてを捨てるのではなく、その中にどんな意味があったのかを、もう一度見直していきたいと思います。
そして、これからの家庭の中に、言葉だけではない感謝と敬いの心が育つ環境をつくっていってほしい。
私は、この「順序」について、これからも何度もお話ししていきます。