コロナが流行る前から日本の社会問題や窮屈さに文句を垂れたり、人の目を気にしすぎる多くの日本人の特性にイライラする時もありますが、私は生まれ故郷であるこの日本が大好きです。
巡り巡って和食は最強に美味しいし、味噌汁さえあればどこの国でも生きていけると日頃から豪語していいます。
まだ科学やテクノロジーが今ほど発展していない時代に、自然からとった大豆を発酵させてどうのこうのと段階を踏みようやく美味しく食べられる豆腐や味噌、納豆、酒、そのまま食べると毒があるから根をすり潰してどうにかしてやっと食べられるこんにゃくなど・・
とても今の便利な社会に生きる私には到底思いつきもしない知恵と工夫をされてきた昔の日本の先人方には頭が上がりません。
「いやいや、そこまでやる??www」
ということをマジでやってのけてしまうのが、日本人のすごいところでもあり、良い意味でも悪い身でも執念深さを感じる部分だと思います。
日本は島国ですから自分から意識して動いていないと、陸続きの他の国に比べて他国の文化や人との関わりに触れる機会がやや少なく、価値観の違いに触れることもやや少ないのかもしれません。日本語が公用語であり、英語圏その他エリアの情報を拾い切れていないのも大きな要因かと思います。
日本を出た時のギャップ
私は個人的に25歳の時に今まで旅行程度しか行っていなかった海外旅行経験から、バックパッカーレベルで東南アジアを放浪したり、数ヶ月館インドでヨガの修行をしながら滞在した時に正直かなりの衝撃を受け、個人的には人生の価値観や世界観もガラリと変わりました。
あちこちの国でボーッとウロウロしたり、その辺にいる人々とおしゃべりしているだけでも
「今まで自分はなんて小さな視野の中で過ごしていたんだろう・・??」
ひしひしと感じます。すでにグローバル化とネットワーク社会の真っ最中にいる中であるはずなのに、国内で特に何も意識せず過ごしているとその変化のスピードはゆっくりと感じるものなのですね。(まあそれもある意味平和でいいね!ということなのでしょう)
ゆとり世代から見た個人的な危機感
確かに、今まで通り平和にリスクを侵さず生きていれば・・周りの友達と同じようなライフスタイル、仕事、考え方でいられたら・・・
多くを望まない私にとって、正直これ以上困ることはありません。
普段は超楽観主義な私ですが、総合的に様々な情報に触れ体ごといろいろなところに持っていった末、ある危機的状況であることに気づきました。
「みんなが豊かで幸せな日本社会って、これから続かないよね・・?」
日本にいて、今までと同じような暮らし、人、仕事の繰り返しを行っているとあまり実感することはないのかもしれませんが、日本国内だけでも格差はかなり広がっています。さらにグローバル化したことでこの格差は世界レベルで広がっていき、「日本の平均的な戦闘能力」みたいなものがどんどん失われつつあるんですね。
この記事ではその統計結果についての説明を省きますが、そのことに気付いた上で「自分はこんな暮らしをしていきたいなあ〜」と目標を決めたり、「これくらいが心地いいな、ちょうどいいな」と思えるライフスタイルを見つけられており、それに向けて行動したり調整をしている人はどれくらいいるのでしょうか・・??
戦後の高度成長期ではない今、年功序列で昇進、定年退職まで会社は安泰、定年後は十分な年金や社会保障が受けられ・・なんていう誰かが作った人生のレール?理想モデルはとうの昔に幻想と化しています。
私は関東首都圏でごく平均的・・中学校からは私立の中高一貫校に通ったのでちょっとだけ身にあまるほどの十分な教育を日本で受け、そこそこ真面目に成長していきました。
そんなごく珍しくない環境で育った私の周りの人たちを見る限り、そこまで危機感を感じている人は少ないように見えることに私は非常に危機感を覚えています(汗)
一番の問題はその人たちがダメだとかバカだとかいうことではなく、私自身もこれはアルバイトや会社員として働いていた時は目が向かなかったことなのでよく分かるのですが、本人は平穏無事な生活を望んで生きているだけなのに、「その構造自体が政治や社会問題、税金の使われ方、社会保障について知識をつける機会や必要がなくてもなんとかなっちゃっている」現状が一番ヤバいんです。
それでも、水面下では可処分所得の割合がジワジワと減りつつ、社会保険料各種もジワジワと気づかないうちに上昇しています。
この辺りって、日々の仕事や業務を頑張って繰り返し、お給料として振り込まれているだけだとあまり意識が向かないんですよね・・だって、自動的に計算してくれるし税金も保険料も引いた額を振り込んでもらえるのですから・・一度懐に入った稼ぎを自分で納めにいくのと心境は全く違いますよね。
成り行き任せだけど漠然とした不安だけは募らせてしまう
世の中には色々な方がいらっしゃるので、あまり断定的なことは言いたくないのですが、近年インターネットの普及でSNS等で簡単に人の近況や生活が覗き見できるようになりました。
そこで何だか他人が自分より裕福そうな生活をしていたり、幸せそうな様子を見ていると「比べて自分は・・」なんて比較する傾向に陥ります。
今までなんとなく生きる分には困らないし、満足していた生活が霞んで見えてしまったり「もっと何かが足りない」という感覚になりやすくなります。
恐らく「普通とは違う」「自分らしく生きている」「自由に生きている」ように見えるあの人たちは、ナチュラルにそう見える人もいるとは思いますがおおよそは「受け身で成り行きに任せるだけではなく、何かしらのタイミングで自分自身で決断をしたり、覚悟をしてそうなっている」人たちです。
私は平成5年生まれで日本の義務教育を受けてきましたが、14歳離れた弟の様子を見ていると日本の義務教育の制度や内容は私の時とそう大きく変わっていません。
何かを学ぶ時は予め決められているカリキュラムや時間割が組まれていて、自分の得意不得意、興味あるなし関係なくとりあえず色々な分野の勉強を座学や実習を通して学んでいきます。
交友関係もクラスメイトや地域で知り合う同い年くらいの子たちと仲良くするか、うまく馴染めないかで学校生活の充実するしないは左右されます。
そんな風に、家族や学校が用意してくれた手順の通りに教育を受けていた子供達が社会に出た途端求められるのは
「主体性」
「素直さ」
「コミュニケーション能力(同年代とだけではない)」
「自己マネジメント能力」
だったりするんですよね^^;
果たして今まで従順に机に座って勉強、高いテストの点数や偏差値、内申獲得のために走り回っていた学生生活はなんだったのか・・・??
私は今でも疑問に思っています。
組織に属していればある程度は研修だったり、仕事をする環境や手順は用意してくれますが、その仕事がプロフェッショナルであればあるほどやはり主体性だとか自己マネジメント能力だとかは求められてくるわけです。
そりゃ、誰だって不安になりますよね。
今まで受け身でも色々と享受できていたものたちが、いきなり自分から能動的に動いていかないとなんだかヤバそうな予感がすごくする日本社会。でも、突出して動いてみたら浮いたり叩かれたり出る杭打たれる状態。なんじゃこりゃ!
少なくとも私は大混乱でした。
ちょっと長くなってしまうので、次回はそんな教育や社会背景がある日本人にとって「自分の得意なことを生かしたり、やりがいを持って社会に価値を提供する」ために必要なマインド面やメンタル面を獲得してくためには、一体どんなアプローチが有効そうか?について考察を書いていきたいと思います。
お楽しみに♡
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