鬼門は、日本以外ではそれほど恐れられてはいないようです。なぜ日本でこれほどまでに恐れらるようになったのでしょうか。
このブログでもご紹介した山本健造さんの本を読んでから、古い日本について書かれた本を読んだりネットで調べることが多くなり、そんななか縄文時代に発展していたこしの国、今でいう飛騨、信州、富山、新潟が京や大和から東北にあたるということを考えてみました。
縄文時代中期、飛騨の山奥にとても力のある指導者があらわれ、その一族には神がかりの力をもつ人もあらわれました。そのような力をもった人がリーダーとなりその地をまとめていたようです。そして、子孫が各地へ移住していくことで勢力を徐々にひろめていったようです。
弥生時代、東北の気候や地理的な環境条件が厳しくなってきたので、ヤマトに拠点を移すこととなりました。
神武天皇が九州から東征したということはよく知られていますが、神武天皇は飛騨の一族の子孫となるなのだそうです。
宮崎にある高天原遥拝所では東北方面に向かって祈りをささげていたのでしょうか。
ヤマト政権が確立していくにつれ、ユダヤ教、原始キリスト教系の氏族が政治に加わり、いつしか古代からある土着の信仰がそれらと融合、もしくはうまく差し替えられたり、または廃れていったように思います。
やがて時間の経過とともに、祖先の住んでいた東北はいつしか疎遠となり、先祖は高天原の神々であったとして祖先の存在が消されてしまった。そして、古代からあった信仰がいつしか変えられてしまった。それらのことをよくわかっている東北の人を恐れたため、大和や京から東北にあたる鬼門を恐れたのではないかと思いました。