本当にやりたいことをやっているのだろうか

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人生、自分のやりたいことだけやって、生きている人ってどれ位いるんだろうか?

まあ、仮にやりたくなかったとしても自分で選択して辿り着いているってのは間違いのない話なんですよ。

胸に秘めた思いはあるにせよ、生きていくために仕方なくやっているって人もいるだろうし、それしか選択肢がなかったんだってパターンもあるでしょう。

でも、なにかしら選ぶしかないんです。選ばないってのもまた、選ばないという選択をしているに他ならない。

私の場合は、どうなのか・・・化学メーカーに勤めています。勤続25年、特にやりたい仕事ではありませんでした。いえ、入社したばかりの時は、期待に胸をふくらませ、自分の人生の安泰を感じた瞬間さえあったのです。

ところが、半年もすれば、希望は絶望に変わっていました。とにかく仕事が面白いとは思えない。理不尽な上司の言い分を無条件で飲み込む。うんざりしていたし、いつだってやめてやるって思っていました。

だからと言って特別やりたいこともありませんでした。いや、日々の精神状態からして何も考えたくない状態だったのでしょう。当時を思い出す事さえ、ままならない。苦い、消したい記憶だったのかも知れません。

私がやっていたのは、ギャンブルに現実逃避すること。
そうこうしていても、時は過ぎ、いつしかがギャンブル依存症に陥った私は、不幸のどん底を経験しつつも、どうしたらいいのかわからなかったのです。人生に希望が持てず、常に目の前にもやがかかったような精神状態でした。

気づけばもう50歳手前のおっさんになってしまっていたのです。

人生において何をしたいのか

私が子供の頃に夢みていたのは将来プロ野球選手になることでした。夢は壮大でプロ野球選手になって世界一のホームラン王になること。すなわち、王貞治さんの記録を更新することです。とんでもない夢でしょう。

そもそも、なんでそんなものに憧れたのかわかりません。少なくとも、私は野球のセンスは欠片もなかったのです。小学3年生の時に少年野球チームにはいった私は、キャッチボールがちゃんとできずに大泣きしたのを覚えています。
きっと父がテレビで毎日のように野球観戦をしていたのを見て、なんとなく野球に興味を持ったのでしょう。あるいは、親にそれとなく仕向けられていたのかも知れません。

私の夢は、高校生になった所で途絶えました。高校球児の私はプロ野球選手はおろか、高校野球でさえレギュラーになれなかったのです。奇しくもわざわざ野球強豪校を選んで入学したのに・・・
甲子園のスタンドで応援していた私は、まともではなく嫉妬に狂いそうになっていたのです。
別に自分は、他者に負けているとは思っていなかったし、自分なりに野球一筋で夢に向かって努力はしてきたつもりです。ただ、野球が上手になるような努力ではきっとなかったんでしょうね。腕力だけは人一倍強くなりましたよ。

【努力したからといって報われるとは限らない】私の苦い経験です。

でもね、今となっては、中途半端にプロ野球選手になれなくて良かったと思っています。私は本当に心から野球が好きだったとは言えないからです。
野球が好きで好きで、常に考えているような、それでいて才能に恵まれ、努力を惜しまない上で、運にも恵まれる、そんな中のほんの一部の人間がプロ野球選手になれる。さらにその中で、ホームラン数のトップとなる。

とんでもない話だよ。夢は本当に大きい方がいいのだろうか。
私の答えは、否だ。

夢は強く願えば必ず叶う、諦めなければなんてのは妄想でしかない。

幸せは何かを成しえて得られるものではないということ

夢の大きさに対しての努力が足りなかったから、うまくいかなかったのだと言われればその通りなのだとは思う。
でもさ、そんな血の滲むような努力をして成し得たいことなんて私にはありません。
で、夢に向かって頑張る姿ってのは確かに素晴らしく美しくもあるんだろうけど、幸せに直結するかと言えば、違うんですよね。確かに達成したときの喜びってのは凄いんだろうけど。そんな感覚って長くは続かないよ。

人って慣れちゃうもんだから。

私は、夢破れて、やりたくない仕事を続け、精神的にどん底を経験しました。
でもそのおかげで、気づいたことだってあります。
なんだかんだで、こんな私でも結婚できて子供2人いて愛情のある家庭に恵まれたなって。ギャンブルばっかりやってきて病んでいたけど、克服できたら幸せの感度が上がりました。

現在に感謝するということ

人生において正解とか正しい道なんてありません。あえて言わせてもらうとすれば、本人が幸せを感じれているかどうか。というのが重要であって、それにはないものに焦点をあてるのではなく、今あるものに感謝できるかどうかなんだと私は感じているのです。

そういった心を持てる人、感謝できる人こそが、真に幸せな人なのであって、不足感をずっと持ち続けている間は、もっともっとといずれ満たされない心をかかえて生きているのです。それは私にとって幸せではありません。

私はまさに不足感の塊、欲に支配されていたのです。
どん底を経験しなければ、気づけなかったというのはなんとも恥ずかしいお話ですが、今の私にとってはギフトであったと捉えています。

人の役にたちたい

私は長い間、精神を患っていました。地球なんてなくなってしまえばいいと本気で思ったことだってあります。それでも、どうにか生きていれば、こんな風に誰かのやくに立ちたいと思える自分に出会えたことを伝えたいのです。

私の失敗は決して失敗ではなく、幸せに繋がる布石だったと知ることになりました。そしたら、全てに感謝できるようになるのです。

昔の私に伝えたい想い。それが、今の私を動かしているのです。
私と同じような経験をしている人の勇気となりたい。それが私にとっても救いとなるのです。
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