嬉しいですね。完全にニワカですけど。
『竈炭治郎竈の歌』を聞くと泣きます。
私がはまったキッカケが、那田蜘蛛山編で流れたこの歌の、
『生きていくしかない』
って歌詞です。
何気ない一言ですけど、すごいと思うんです。
昨年、未成年者の自殺がすんごい多かったって、ニュースで観ました。
私も3度自殺企図してますので、
「生きる選択しかしない」っていうのは、きっととんでもなく辛いんだろうな
って。
楽な方に逃げないっていう、もう、ホント、途方もない覚悟。
大事なものをほとんど失って(奪われて)も一つだけ守らなきゃいけない。
全部失ってたら、後を追えるんだろうけど、守るものがある。
諦めちゃいけない。いや、ホントのこと言うと、
絶望したけど、その絶望すら断ち切って、前を向いて立ち上がるしかない。
これだけでも、アレですけど、いても目に見えぬ細い糸
って、「報われない努力」よね。漫画にはならないやつよね。演歌でもこんな歌詞あるかしら?と思ってるうちに
『どんなに悔しくても、前へ向かえ』
ここで、ガーンと頭を殴られたような衝撃を受けまして、気づいたんです。
これは、認知的不協和を克服して合理的行動をするための試みではないか。
『悔しい』と思っても、そこからすぐに努力できる人って少ないと思うんです。大方は、泣いて、寝て、忘れちゃう。
努力が報われなかった事実に耐えられないから、適当にごまかす解釈をして目をそらす。これが認知的不協和。
一流の人は、『悔しい』とか感情ではなく思考。なぜ失敗したのか。どういう回避方法があったのか。たぶんそういうことを延々と考えているんだと思うんです。だからきっと、絶望とも無縁。
上手く行く確率を上げるために考える。という合理的な行動。
運動会が嫌いでした。小中高で12回あるのに7回くらいしか出ていないんです。
かけっこで負ける→悔しい・恥ずかしい→運動会や体育は悪いものだ→練習しない→負け続ける→不登校気味に→あらゆることに変な理屈をつけ始める→社会不適応→自殺企図(私個人の体験です)
小さいころパッとしなかったのに、大器晩成した。みたいな人って、きっと
負ける→分析する→練習する→継続する→前回よりも良い状態で試合を迎えられる。
というサイクルだと思うんです。次の試合で負けたとしても、勝つまで「行動」するんだと思うんです。
ちなみに人相占い的な話をすると、行動できる人の顔は、目と口の周囲の筋肉が締まってます。