ずいぶん前ですが、犬の散歩中に公園を通りかかったら逆上がりの練習をしている父・息子の組み合わせを見ました。
他の子供たちが、公園で思い思いに遊んでいる中、逆上がりの練習と言うか、特訓です。
「何で出来ないんだ?」
と問い詰めるお父さん。うつむく僕。
お父さんも小学校4年生くらいの息子さんもいかにもまじめそうな、出来の良さそうな感じです。お父さんはずっと努力してそれが実って立派なお仕事をされているような人です。
出来ない子に怒り気味に聞いたって、良い答えが出ないくらいはわかりそうなくらいの頭の良さにお見掛けします(意地悪な言い方でごめんなさい)が、どうやらずっと以前から出来ないから、そろそろ出来るようになったと思って期待外れでぷんすかしておられるようです。
実は、私も逆上がり、逆立ち、跳び箱、水泳その他もろもろ苦手で、体育の時は見学希望に手を挙げたい子供でしたから、とても親近感がわきました。
ちなみに体育得意そうな人と結婚したせいか、娘は幼稚園園庭ですでに逆上がりができていました。←逆上がりしたくなるような補助版がついている鉄棒があったので、遊びの中で自分から自然と出来るようになってしまったのです。
普通に公園で遊ばせていると、毎年1~2組出現する、{逆上がり出来ない親子}に見られ、褒めてもらえました。というか。
「ほら、あんな小さな子がくるりんって、いとも簡単にやっている」
という、叱られ要素を増やしてしまっていました。(なるべくそういう時は、他の遊具で遊んでくれと頼んだほどです。私はやりたいことをやるって言われたりしました)
親は子供がかわいいからこそ、じりじりするんですよね。
出来ないことより出来る他のことを見てあげればいいのに、と思います。
あと、よその子が出来て、うちの子が出来ないのは悔しいですよね、でも逆だってあるだろうし、そう怒らなくても…。
ちなみにうちの娘も体育、音楽は得意でしたが、図工は波がありすぎました。
白い丸い紙にぽつんぽつんと赤い丸いおはじきが離れて2つ貼ってあるのが、記録的最低点でした。面談の時に、先生が私に問題を出します。
「お母さん、何だと思います?」
「ははぁ、う~ん? なんでしょうね、わかりません」
「うさぎ、だそうです」
「あ~、なるほど~♪」
まぁ、せっかくの図工の時間にそれだけ貼って、あと無駄にさぼっていたのでしょうが(笑)。
先生も、注意してほしいという意図で私に見せてくれたのですが。
私も子供の頃、白い画用紙が美し過ぎて、そこに{どうせ怒られそうな自分の拙い絵}なんて描くきにもならないくらい大切に思えたので、仕方ないかなと思うんですよ。
先生が私を観察しているので、穏当な言葉を探しました、
「いや、ええと。こう、せめて うさぎの特徴である長い耳でも作って貼って欲しかったですよね」
「そうなんですよ~!他が出来るのだからもっと図工を頑張ってくれたらいいのに」
残念ながら、私にはコンプリート欲はないので、面談を終えて帰宅し、
「先生、なんて言ってた?」
と聞く娘に
「う~ん、アンタの作品はたぶん、とても手抜きに見えてるみたいだけど、まぁなぞなぞみたいで答えが出なかったから、せめて耳をつけておいて欲しかったかなぁって思った」
「お母さんも怒っている?」
「う~~ん、まぁ、ああいうのは本人がこれで完成って思っていたら仕方ないし。世間とか先生が『完成していなくてショボいね』って言われたら、やっぱそう思われるか~って思うしかないけど、どう思う?
ちょっと手を抜きすぎたかもって思う?」
「今となっては、正直、うん」
「だよね~、たぶんお題は『なぞなぞを作れ』ではなかったかなと思うし。
いや、でも『シンプルの極致』なら最高点だったかも(笑)」
私は『星の王子さま』の{うわばみに呑まれている象}の絵の最終形態が意外と好きなんで、怒れませんでした。
娘には、たまに名作があり、それは未だに我が家のゴミ屋敷にまんま飾ってあります。鳥の図鑑を良く見てそれを伝えようと丁寧に描いたヤツとか落ち込んでうつむいている少女とか10年以上気に入って飾らせてもらっています。(本人とダンナはそろそろ処分しろと言うのですが)
ああ、話がそれたので戻します。
私が30代の頃は、逆上がりが出来ないと怒っているお父さんがこちらに
「いいですね、逆上がりが出来て。お嬢ちゃん、お兄ちゃんに見本見せてあげてよ」
と言ってくるので拙いアドバイスをしたりしたものですが、今はなるべくお節介なおばちゃんをやめております。心の中でそっと息子さんの方にエールを送って立ち去るのみです。
自然となんとなく楽しく出来ちゃった子供の、素早い逆上がりを見てもあまり参考にならないんです、そう思います。
私もずいぶん親に怒られて、上手い友達を何回眺めても出来ないし、そういう子が協力して、私のお尻を押し上げても未完成のまま、なんとなく両足を落としてくるのが楽なんです。体育の時間、怖い男の先生に無理やりぐるんと回されたら、形的には出来て、
「わかった?今の?」
と言われても、再現できませんでした。
今は60歳なんで出来るとは思いませんが(笑)、実は怒られてからの数日後、自分で自分を特訓して逆上がりができたのです。
方法としては
〇 前回りなら、なんとなく出来る。
いったいどこが違うんだ、って思ったのが出発点でした。
元々、前回りも嫌いでした。
わざわざ、あの固くて痛い鉄の棒に腹を載せて、乗れというのも嫌なのに、大切な頭を逆さまにして、なんかそれがもう気持ち悪いんですよ、ここで気絶したらどうしてくれるんだ、って子供の頃はずっと思っていました。
そんなこと言うと怒られるし、大人はまともに聞いてくれません。だから言わなかったんです。
〇 前回りと違う点はどこだろう?
知れた事、逆回転しているんですよね。
ちなみに前回りが出来るようになったら、あの固くて痛い鉄の棒に腹を載せている状態って、すずめかつばめが止まり木にとまっているみたいでちょっといいな♪って思いました。しょちゅう怒られてばかりの自分じゃなく、鳥になれたらどんなにいいかと思う子供でしたから。
その状態を満喫した後、ぽんと降りるより前回りして身体を低くして降りた方が足に衝撃がない気もしましたし、いいなぁと思うようになりました。だから、出来ない子はまず前回りをスムーズに出来るようにさせてもらい、ほめてもらえれば鉄棒にも少し親近感が増すんだよ、って自分で思いました。
〇 フェイクでも、出来たら褒められるんじゃないか?
体育の先生が、とりあえず逆上がりでぼろ雑巾のように私を鉄棒にひっかけて私が止まり木ポーズになった時点で
「出来たじゃないか!」
と言ったので、そこから練習することにしました。逆算です。
〇 好きになっていた止まり木ポーズから、そうっと頭を前に倒し、逆上がりでぼろ雑巾のようにひっかかっている状態を作り、そこからえいやってもとの止まり木ポーズに戻そうとしたのです。
これはけっこうしんどいです。身をもって体験したのです。
お察しの通り、逆上がりの序盤の勢いが無いので、最初は腕の力も全然なく、元に戻れないよう、って思って前回りして降りてみたりの繰り返しでした。少し自分を甘やかし、ツバメ状態に近い状態から戻してみたりのこともやりました。
そうこうするうちに、体育の時間がまたきます。
体育の先生が相変わらず、怒りながら
そのぼろ雑巾のようにひっかかっている状態まで、私のお尻を無理やり押します。
けっこう大変そうです。
「お前もちょっと頑張って、地面を蹴ってくれよ!」
そうだなぁ、まぁ、両手で鉄棒を持っていたら落ちそうにないし、腹が鉄棒にひっかかってぼろ雑巾のようになっている時は、両手が外れたとしても落ちないということが、それまでの特訓で理解できていました。
そう、私は最初から{逆さまに落下}が怖かったんです。その不安は
「大丈夫だから」
「信じて」
と言われても解消されなかったんですよ。頑固な子供でした。
そうかぁ、先生も大変だよな、早く私がぼろ雑巾のように引っかかれば先生もよしと思って、それ以上尻を押さずにすみますし。
ぼろ雑巾のようになった状態から身体を起こす練習は積んであったので、そこを繋げればいいのだと思いました。
お? この蹴りだしの勢いがある方が、身体を起こすのめっちゃ楽。ツバメ状態にすぐなれる、と気づいてからは、ようやく出来たわけです。
はっきり言って、子供の頃から理屈っぽい子供だったので、自分は自分で納得しないと出来ない、むしろ、ぼろ雑巾のようになる状態を、最初は怖いからブレーキをかけていたということもわかったのです。(あと、お腹に鉄棒をぶつけに行きたくなんてない!と思っていました)
ただ、あの頃の私の周囲には、そんなことを私が考えたりとか思っていませんでした。
冒頭の、「何で出来ないんだ?」を大人は怒りながら言わないで欲しいなってあの頃の私も今の私も思います。
「なんか似てることはすんなり出来ているから、それに似せてやってみたらどうかな?」とか選択肢を増やしてほしいな、追いつめないで欲しいなと思うんです。
もうすでに大人になった人も、自分で自分を追い詰めないようにしましょうよ。
「何で出来ないんだ?」
「どうして私はだめなの?」
じゃなくて、
出来ないことがしたいことだとか、しなくちゃいけないことだったら、嫌でも食らいつくしかないんです。
やり方をさがしましょう。それかやり方探しのヒントをどこからか引っ張ってくるとか検索しましょう。
くれぐれも、ふてくされて選択肢を狭めるのはやめましょう。
自分の選択肢を狭めるのもお勧めできませんが、大人が子供にとか、強い人が弱い人に圧をかけて選択肢を狭めるハラスメントは、本当に大嫌いだぞ、私は。(個人の見解です。すみません。ハラスメント的な考えをやめろと他者様に強制はしたくありませんが。すみません)
飛ぶことの出来る子供 の話をするスペースがないんですが(笑)。手短に。
子供の頃に読んだ漫画、萩尾望都さんか竹宮恵子さんだったかと思いますが。
こんな話だったかと思います。
とあるお金持ちが、飛ぶことの出来る子供を欲しがって大金を払うというものだから、いろいろ大人が連れてくるんです。その中に本当に飛べるらしい子がいるんです。お金持ちが「飛んでみせろ!」って言うと、ええ、飛ぶんです。
で、うわ、本当だと喜ぶ。
「お前にも連れてきた人にもたくさんお金を払う」というんですが、その子供が
「聞いてよ、あんた。間違っているよ!
知らないの?子供はみんな飛べるんだよ」と言うんですが。
なぜか私は、その次のお金持ちのリアクションが好きなんです。
その人は、ちゃんとその子供のセリフを聞いて驚くんです。信じて驚き、感動するんです。
「そうなのか、本当は、子供はみんな飛べる子供なのか!?」
出だしは、いやなお金持ちのおじさんにしか見えないのですが、あ、ちゃんとこのおじさんは聞いてくれる人なんだ、って思ったんです。子供心に私は大人を疑い始めていた頃でした。
そうか。
大人はほとんど私の話を聞いてはくれないけれども。
成績が良い時だけほめそやし、たまたま何かしたら頭ごなしに叱られると思っていたけれども。
もしかしたら、大人でも、自分の話を聞いてくれる人もいるかもしれないぞ?って思ったんです。
希望が持てたんです。
実は、この漫画のエンディングは、ほほお~?という驚きがあり、私の感動したところは、大した要素ではないかもなのですが、この漫画のこのシーンが、その時の自分を救ってくれたんです。
ちょうど、自分や他者(自分以外のクラスメイト)という存在にも気が付き始めた頃、自分は勉強も出来た方なので、わりと先生に信じてもらえている側にいました。
でも、出来が悪い、~~だ、~~出来ない、と評価される側のクラスメイトがいるのだと気づきはじめました。他にもいいところがあるのに、親にも先生にも怒られてばかりで楽しそうにしていないのが嫌だったんです。
あと、その側の人たちが、私をねたんだのか色々やられたこともありました。
別に私はケンカはしたくはありませんが、徒党を組んでいじめにくるんで全く勝つことはできませんでした。
だから、動機が、自分たちだけが出来ない、差別されている、~~だけはえこひいきされているという疑心暗鬼状態が解消されればいいなと思っていました。高学年にいくほど、ギスギスしていくのはなんでなんだろうかと思っていました。
出来る子、出来ない子って、簡単に線引きしないで欲しいんです。そういう区別、差別が分断を生んだりするわけですし。
出来ればね、先生には出来ないことを出来るようにしたくなるようにしてほしいなぁって思いました。
あと、出来ない理由、とか意外とちゃんと子供の自分でも考えていたので、怒る理由付けにするのはやめて話を聞いてほしいなあって思いました。
ぜひ、一緒に原因を探り、出来る方法探しの手伝いの観点から、話を聞いてほしいです。
たわごとの長文をここまで読んでくださった方には、感謝いたします。
色々とストレス多い人生ですが、出来ないことを見捨てるのも手です。
出来ることをなるべくたくさん選び、たまに余裕が出来たら、出来ないことにチャレンジしてみるってのもいいじゃないですか(^^)。