おみくじ、小鳥の思い出(#^^#)

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占い
正月が過ぎて一段落したからか、昔のことを思い出しました。
古い話です。
あっという間に還暦が過ぎたからね、6歳~10歳くらいの時の思い出話をしても、そりゃもう、あなた、(唐突に呼んですみませんww)、びっくりですよ、50年くらい前ですって(笑)。
つまり、半世紀くらい前のことなのか~と、当たり前のことを考えては落ち込んでしまいます。

親に連れられて行く、デパートの屋上に遊園地があったり。
お出かけした先(たしか高島屋さんだったかなと思います)、デパートのレストランには、{ジュニアランチ}なるものがありまして。それは、なんとお子様ランチの上位機種なんですよ!(いや、そういう説明の仕方はズレていますが)。
特に自分のものは買ってもらえないお買い物に連れまわされていたとしても、そんじょそこらのちびっ子とは違う、ジュニアランチをいただける自分、すんごく幸せなお嬢、な気分でした。

食後は、決まって屋上の遊園地に行くのでした。
私はね、お嬢だから、汽車ポッポなんかに乗らないしww、
私はね、お嬢だから、かは知りませんが運動神経がないので、エアホッケーとかもしませんしww(←大きくなってからやったら、ことのほか楽しかったww)、
そのうち片隅に置かれていた、『おみくじ』という機械を見つけました。
若い人はわからないかもしれませんね、ゲームマシーンと同型程度に作られているのですが、もちろんゲームではありません。

お正月とかに神社でやらせてもらえるおみくじとは違い、ゲームマシーンのようなドームの中にミニチュアの神社の模型、そして、黄緑色の小鳥の模型しかなく、玉を外側からパチンコのようにはじいてぶっ倒せるようなものではなさそうでした。あまり人気もないようで、一番隅に置かれていました。

じ~っと見ていると、親戚のおじさんが寄ってきて、おごってくれると言います。他の子供達は、わぁいわぁいと遊んでいるのに、私はただうろうろするだけなんで、どうやらご心配をおかけしていたのかなぁと思います。(小さい頃は、今とはまったくかけ離れた、やせっぽちの大人しい、本ばかりうつむいて読んでいるような子供だったので)

「ゲームじゃないけど、やってみる?」
「うん、」

たぶん、10円~50円くらいの時代だったと思いますが、おじさんがお金を投入すると、小鳥(模型)が神社に向かって動き、中に入って行って、白いおみくじを咥えて戻ってきて、ポトンと、とある穴に落とします。すると、それが外で待っているお客様(私)の所に届くわけです。

「わぁ、すごい!」
(あの小鳥が、中で選んで持ってきてくれたんだ♪)

嬉しかったですね。
機械だろうが、からくりじかけの模型だろうが、
自分のための白い巻紙を持って届けてくれる、そのシステムが。

他の子供達は、いまだにわぁいわぁいと走り回っては、手当たりしだい、楽しそうな乗り物に乗っているのですが、自分は好き好んで別の楽しみ方をしている、その特別感といったら。

「昔はね、本物の小鳥がね、チョンチョンと止まり木を渡って行って、持ってきてくれたんだよ。今は機械だけどね」
「本当?」

愛読書が、シートン動物記とかドリトル先生だった私は、感激しました。
本物の小鳥が、自分のためのおみくじを運んでいることを想像して。
伝書バトみたいなもんかなぁ…?

実は、未だにその本物を見たことがありません。残念ですが、空想をして楽しむしかありません。

たぶん、鳩やら小鳥を飼育して、調教して、って今ではもうそれで見世物にする、みたいなことは動物虐待に近いとされてしまうかもしれませんね。

ただ、その時も今も、
人間は偉いんだ、みたいな上から目線で、動物を仕込んで言う事を聞かせる
ということに憧れたのではなく、
なにか
動物とか小鳥とか、いや何でもいいから、誰かと意思疎通をしたかった、それだけなんですけれど。

例えば、自分が「お手」と命じたら、犬がお手をする。
うちの老犬は目がもうだいぶ見えていないかもしれませんが、お菓子のご褒美よりも、私が
「わぁい、お利口だねぇ」
とご機嫌でのたまい、身体をなでさすって褒めまくる。そういうのが嬉しいように(私には見えます)。

人間同士では意思疎通が難しかったり、お互いに時間が取れなくて相互理解に至るまで、じっくり話をすることが叶わなかったり、がありますね。

周囲と同じように遊んだりするのが好みではないので、本を読んでばかりでしたが、たぶん、私は周囲になじめていないことが多かったのかもしれません。
その頃の大人は、{なじめていない = 可哀想?}のように思っていたようですが、自分は本当にただただ、本を読み、その中に出てくる見知らぬ誰かのことを知りたかったんです。

なによりも、
自分になにかどこからかメッセージが届けられたらいいな、っていう憧ればかりありました。きっと寂しかったのでしょう。
だから、小学校6年生でタロット解説本を本屋さんで見つけたことも嬉しかったし、親には
『図鑑にしなさい、役に立つから』
と言われたのですが、その時も親戚のおじさんが買ってくれて手にできたのでした。

あなたにも、特別なメッセージがタイミング良く届くといいなぁと願います。

おみくじでも、占いでも、
『ちょっと誰かからのメッセージをっ!』て思った時には、なかなか良い手段の一つだと思います。
若い頃は、特におじさま族には
「アンタ、当たるの~~?」
とか揶揄されてましたが(そして、内心カチンとか来てましたがww)。

大好きなタロットカード占いですが。
確かに中世からの遺物で、78枚のうちのどれかが確率的に当たり、組み合わせでなんとかうまいことを言っているんでしょう?(byおじさま族 確率と、組み合わせは数学でもやりますからねww)と言われてしまいます。

機械とか、テンプレとかだと、一定の組み合わせが自動で出てきます。
おみくじっぽい感じです。同じ組み合わせなら、まぁまぁ同じ意味になります。それでも、かなり好きですけれども!(^^)!

でもね、人間が背後にいる、一期一会のタロット占いは、それだけではないんです。当たるか当たらない、よりも・・・。

あれ?この単語の意味って・・・このフレーズって・・・。
タロットカードは、寓意画(意味のある絵)をつけていますからね。

私のカード説明時にお客様が
「あ?!」って思い当たることがあるようです。
お話くださらなくても良いですが、(その『あ?!』こそは、お客様の大切な気づきですからね)、
たいていは、占い師の私と会話してくれます。

「なるほど~」と私も{わぁい}な気持ちです。それはその時だけの、メッセージを受けている気持ちです。
「そういえば、こっちのカードは・・・」
と、関連する意味をまた掘り下げて、会話すると・・・。

それはもう、大切なひととき、となります。
だから、占い後も、自分の鑑定をはさんでお客様とお話するのが好きなんです。
自分が占えるのも、そのうち終わるかなぁと思いますが、
おみくじも占いも大好きです。
が、今日は、先ほどからあの黄緑色の小鳥をなぜか思い出していました。というわけで、ブログにメモしておきたいなと書きました。

あの黄緑色は、春の色って感じですから、かな。
春、大好きな季節なので、とても待ち遠しいのです。
早く、暖かくなってほしいものです。





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