【教育しても成長はさせられない】

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日常的スピリチュアル、安田です。

どんなに優れた教育をしても
成長させることはできません。
成長ができるように
導くことはできますが
成長そのものには
自己責任の努力が必要なのです。
教育というのは
自己責任の努力ができるように
導くことをいいます。
何かを知ったからといって
成長ができるのではなく
知ったことを実践し
努力することで
成長ができるのです。
努力ができるように導く教育が
「悟り教育」なのです。
悟れるように導ける教育が
求められているのですが
表面的な教育では
悟りに導くことはできません。
教育する人が
悟っている分
悟りに導けるのです。
過去の時代の教育は
知っていることが多ければ
教育が成り立ったのですが
今の時代では
悟っていることで
教育が成り立つのです。
となると
教育が難しく感じますが
教育する人も
教育される人も
共に成長していく
時代だということです。
共に成長するというのは
共に悟れるように
努力をするということです。
いくら教えられることがあっても
完全完璧ではないし
成長過程であるのです。
教えて成長することができ
教えられて成長ができるように
導かれていくのです。
成長が自己責任であることを
悟れることで
自分の努力ができ
成長欲求が満たせるのです。
自己責任を全うするには
主体的に歩むことが必要なのです。
受け身で待っていながら
成長することはできません。
主体的に歩むというのは
自分の努力に対して
主体的に歩むということです。
主体的に歩むには
どのような努力をするのかを
自分で決めるということです。
今は義務、強制が
通用しない時代なので
自分で決められないと
何もできなくなります。
自由な時代、環境になることで
勝手に決めて、勝手に努力が
できるようになったのですが
勝手に決めることが
できない人が多いのです。
勝手というと
何となく良くない
印象がありますが
自分の努力に対しては
勝手に決めるしかないのです。
私たちは
決められたことに
合わせてきたので
自分で決める力が
弱くなっています。
自分で決められない時期は
仕方がないのですが
自我が芽生えてからは
自分で決めることが必要なのです。
歩み、努力というのは
決めないとできないのです。
決めて、習慣にして
体質にできれば
無意識にできるのですが
最初から無意識に
できるのではないのです。
「これをやる」と
決めていくことで
習慣にすることができ
体質にすることができます。
自分の成長は自己責任なので
誰も干渉することはできないし
干渉させてはいけないのです。
自己責任を悟ることで
自分で決めることの必要性を
悟ることができるのです。
ただ、どんな人にも
成長欲求は共通に
持っています。
その成長欲求を
目覚めさせることができれば
勝手に決めて
努力ができるようになります。
今の時代に求められているのは
「悟り教育」なのです。
知識は無数にあるので
得ることができるのですが
悟れるように導ける指導が
求められているのです。
同じようなことを学んでも
知るだけなのか
悟れるかに分かれてしまうのは
悟れる指導力の差と
悟れる段階の差があるからです。
現実的には、どちらも
計りようがないのですが
悟れるまでには
繰り返しの学びも必要なのです。
自己責任で
成長ができることを
悟ることで
自分で決める力を
身につけることができ
成長欲求を満たす歩み
努力ができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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