【キャラになり切る歩み】

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日常的スピリチュアル、安田です。

キャラというのは
人それぞれの個性であり
キャラになり切ることが
個性発揮でもあるのです。
自分のキャラの通りに歩むことで
何かになろうとしなくて済むのです。
他の何かに、あるいは誰かに
なろうとしてしまうと苦しくなるし
絶対に実現できないのです。
多少は真似て
似ることができても
自分の個性を土台にして
似ることができるのであって
完全に似ることはできないのです。
キャラというと
何となくおチャラけて
いるような印象がありますが
真面目なキャラ
突っ走るキャラ
マイペースのキャラ等の
無数のキャラがあり
自分の個性の通りの
キャラになればいいのです。
あるいは
与えられている環境の中で
相応しいキャラになり切ることで
自分の個性が見えてくることもあります。
自分の個性は
分かるようで分らないのですが
他の人とは違うことだけは
明らかなのです。
同じようなタイプであっても
個性は違うし、キャラが違うのです。
この違いを感じていないと
無駄に他の人と比べてしまい
何かに、誰かになろうとする
無駄な努力をしてしまうのです。
努力をするのであれば
自分になる、自分のキャラ
個性を活かすことに
努力をするべきなのです。
なぜなら、他の人になることは
絶対に不可能なことだからです。
宇宙の法則に反することであり
原理原則に反することなので
絶対に実現させることはできません。
実際に、イメージすることすら
できないことなのです。
自分のキャラを活かし
個性を発揮することは
漠然とながらでも
信じることができますが
他の誰かになることは
漠然とでも信じることは
できないのです。
時代の恩恵によって
個性の発揮ができるようになり
個性を発揮するしかない
環境になってきています。
個性発揮というと
何となく希望だけが
感じるのですが
その希望を実現するには
努力が必要なのです。
個性発揮のための努力なので
希望的には歩めるのですが
負荷をかけた努力なので
生みの苦しさを感じるのです。
キャラになり切るというのも
意識を集中させて
投入していくことなので
より努力が必要なのです。
どんなに時代の恩恵が
大きくなったとしても
努力をする自己責任は残るのです。
テクノロジーの発達によって
より快適に、より便利になり
効率的に歩めるのですが
人にしかできないことしか
できなくなるのです。
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動は
自分でやらなければ
努力をしたことにはなりません。
いくら大金を積んだとしても
学んだことにはならないし
実行したことにはならないし
瞑想、運動をしたことにはならないのです。
実際、テクノロジーが発達すると
より大変になるのです。
より大変なので
成長欲求を満たすことができ
より大きなことに
貢献することができるのです。
個性の発揮によって
成長できる歩みができ
成長欲求を満たすことができるのです。
そして、自分のキャラの通りに
歩むことができ
キャラの通りに歩むことで
自分のペースで歩めるのです。
自分のペースで歩める人は
基準を上げる歩みができます。
他の人、周りの人の基準が
どうであるかに関係なく
自分のペースで基準を
上げることができるのです。
キャラになり切る歩みによって
個性、才能の発揮ができ
より大きな目的に貢献する歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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