こんにちは、"生きる”を描くひと ナカツカ リクです!
突然ですが、「不安」、お好きですか?
誰しも、漠然とした不安のなかで生きているのではないでしょうか。たとえ、生涯困らないほどの財力があったとしても、周りに自分のことを慕ってくれる人がたくさんいたとしても、きっと人生から不安を取り除くことはできないのではないかと想像します。
お金がなかったり、人望がなかったりすれば当然不安です。しかし、何かを持っているということもまた、失うかもしれない、という不安を生むものでしすよね。この世界に生きることは、すなわち不安と生きることなのです。
漠然とした不安は、日常のなかでふと沸きあがってくることがありますよね。一度沸き起こった不安はなかなか消えてくれず、一日中大きな不安に包まれて過ごすことも...。
果たして、あの不安感が好きだというもの好きなど存在するのでしょうか?
はい、僕です...。
いえ、正確に言いましょう。不安に苛まれること自体は僕だってとっても嫌いです!ただ、不安と同時に感じる、「生きている」という感覚がたまらなく好きなのです。
あの漠然とした不安感はどこからやってくるのか。思うに、自分の生活を俯瞰的に見たときに人は不安感に襲われるのでしょう。自分の生活をどの視点から見るかということが重要なのです。
僕は、「世界と社会と暮らし」というのを3つの視点と呼び、とても大切にしています。この果てしなく大きな世界のなかに、いくつもの社会がある。その社会のうちのひとつの片隅に自分のちいさな暮らしがある。日々、生活を営んでいるとその事実をつい忘れてしまう。今日のことや明日のことに一所懸命になるあまり、社会がもっと多様でありもっと激しく流れているということを。そんな社会がほかにもたくさん在り、それらは世界のほんの一部でしかないということを。それは、自分の生活を暮らしの視点で見ているからです。
暮らしの視点で自分の生活を見ていると、あの不安感に襲われることはありません。目の前の現実的な出来事に淡々と対処しているので、感傷的になることも少なく、何かに大きく感動することも稀で退屈で安定した日常を送ることができます。ただ、何かに熱中したり一生懸命になるには、暮らしの視点がとても役に立ちます。
ふつう、普段はこの「暮らしの視点」状態でいるものと思います。しかし、ふとしたときに社会や世界に視点が移ってしまうことがあります。そのとき、自分の暮らしが社会の荒波に流されてしまいそうな、そんな社会すらも気に留めずに吹く世界の風に晒されるようなあの不安感に襲われたり、あるいはノスタルジーを感じたり、つまり感傷的になるのです。
そして、「生きてる」ということを強く実感する。
僕はあの感覚をとても大切にしています。不安が好き、というのはそういうわけです。自然の大きな力や激しく回る社会のスピードを体感しながら自分の生活を眺めるときが、僕の最も高揚するときなのです。
どうでしょう?この記事を最後まで読んでくれた方は、少しは不安に対する捉え方が変わったのではないでしょうか?たしかに不安感は嫌なものです。しかし、それこそこの世界に生きているという証なのです!
僕はそんなことを意識しながらイラストを描いています。TwitterやHP、ブログなどのヘッダー画像や、CDジャケット、本の装丁などにおススメです。よかったら覗いてみてください!
この記事に似た過去記事↓
こんなサービス出品してます↓