貧しい国からの脱出を夢見て。

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あと何回寝たらさ、日本に行けるの?

日本行きが確定した私は目を輝かせながら、親戚のおばさんに言った。

そうだね、あとこのくらいかな。

そう言うと、おばさんは両手を前に出して、何度も手首を捻って見せた。

それがすぐではない事は、幼い私にもわかったが、日本人の男性と結婚した母を見て、日本行きは確定したとその時の私は感じていた。


……



1年中暑い国、フィリピンという貧しい国で私は生まれる。

外にあるプールは暑さで熱せられて常に温水プール状態だけど、日本の湿った暑さではなくカラッとした暑さが年中漂っていた。

街に出れば、家がない人がそこら辺で座りこみ、子供たちは停車中の車やバスのような乗り物に群がってはモノを売ったり、物乞いなどをしていた。

フィリピンの貧困問題は、とても深刻な問題でもあった。
親は生きていくため、実の子どもを売る。

そんな話は珍しくなった。

皮肉なことに、売りに出された子どもはそこでの暮らしの方が幸せだったりすることもあったから、親はお金が手に入り、子どもは生活が手に入った。

自分が大事にされなかったから、自分の子は絶対に大事にする

そんな母は、子どもの私たちを売ったりすることはせず
日本に出稼ぎに行っては仕送りをしてくれていた。

そのせいで長い間、母がいなくて寂しい日々を余儀なくされたけど
迷子にならないように手を差し出してくれるような、弟思いの兄がいたから
私はやっていけた。

父は私が生まれてすぐいなくなった。

父との思い出は、公園でたまたま父を見かけて、兄と一緒に話しかけていって甘い飲み物をご馳走してもらった……と、このくらいだけしかない。


私と兄は、日本に行くまでの間、親戚の家で過ごす生活を送っていた…。

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