世界的な女優の「ジョディ・フォスター」さんが、お忍びで訪れ※神秘体験をしたといわれているのが、阿蘇高森にある上色見「熊野座神社」であります、海外からの参拝者が増えてきているらしいのですが、信仰に対する人々の考えは不思議なものだと思うのです。
特に日本人の感覚は海外の一神教とは違いなんでも自然に受け入れてしまう国民性があるようです。正月は「神社」へ初詣、クリスマス、イースターを祝うのはクリスチャン、お盆行事、同じような意味を持つハロウィンパーティなど・・まぁいろいろあります。
仏教というものは、仏さまの教えなのだが、一人のお釈迦様が説かれた教えなのに多くの「宗派」があるという不思議さ・・キリスト教もしかりイエス様一人の教えがいろいろと解釈の違いがあって教会もさきざま。
こうしたなかから、新興宗教なるものの出現もあって、信者数を足していくと日本の人口をはるかに超えているという。
自己啓発セミナーなるものも一種の「宗教」のようなものであって、私は「無神論者」などといいながら、ちゃんと何かを信仰しているのですよね。
ということで、信仰に対して私がどう思っているかを説明したいと思います。信仰とは、自らの生命活動における指針だという風に解釈しています。個人として○○教といったものには全く興味なく、しいてゆうならば過去の偉人の言動に対しての信仰者なのかもしれないのです。
最も優れた人は天を師とし、次に優れた人は聖人を師とし、その次に優れた人は書物を師とする。
※ 天とは「自然こそ最良の師である」というところの自然そして宇宙の真理のことをいう。あるてはキリスト教における創造主・神と考えてもよい。かつて夏目漱石のいった「則天去私」自我を棄てて天に従う・・・という天と同義である。
高橋信次師はそれを「大宇宙大神霊」といわれた。
※ 2500年前の釈尊はこの世を去る時にアナンを始めとした弟子たちにこう言った「人を頼りとせず法を頼りとせよ」「法帰依・自帰依」を説かれ最後の説法とされた。
つまり宇宙自然の公理は公平普遍なので、優れた人は天を師として教えを受け、次に聖人、書物となる。もちろん聖人・書物から学ぶことも重要だがそこにはそれぞれの表現方法の違いがあり言語の解釈によっては天理と異なってしまう場合があり万人の師としては言い難いものだ。
仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといった気持ちがあってはならない。
現実をみるにつけ昨今の政界、経済界また教育界に於いて指導的立場であるはずの人たちの徳性、品性のなさにはあきれてしまう。
「西郷南洲翁遺訓」「言志録」「中庸」「論語」など推薦図書として挙げておきます。
小難しいはなしでした・・・本日の一筆👇