毎晩三十分、私は数字を「待つ」ためだけにファイルを開いていた

毎晩三十分、私は数字を「待つ」ためだけにファイルを開いていた

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夜の十時すぎ、子どもがやっと寝た自宅のテーブルで、私はパソコンを開いて待っていた。各店が今日の現金の数字を入れ終わるのを、ただ待っていた。一店が入力したら次の一店、まだ来ない店に催促を送り、来たらコピーして本部の集約ファイルに貼る。手を動かしている時間より、画面を見つめて何も起きていない時間のほうが長い。それを毎晩、三十分。

書いていて自分でも情けないのだが、私はこの三十分を「仕事をした」と思い込んでいた。数字が全店ぶん揃って、集約ファイルの一番下のセルに合計が出る。その合計を見ると、なぜか安心した。今日も一日ぶんが締まった、と。けれど私がやっていたのは、他人が入れた数字を別の場所に移し替えていただけだ。一円も生んでいないし、一つも判断していない。ただ、移していた。

それを何年もやっていた。ファイルを開いて、待って、貼って、合計を見て、安心する。来る日も来る日も。

合わない一円を、見なかったことにした夜


一番こたえているのは、効率の悪さそのものじゃない。月初の話だ。

月が変わると、現金には返金やつり銭の調整が絡んでくる。前月ぶんの突き合わせをやると、たいてい合わない。数百円とか、ひどいと千円台が、どこかの店とどこかの日でずれている。原因を追うには各店のファイルを片っ端から開いて、レシートの控えと照らして、どの取引で何が起きたかを一つずつ拾うしかない。半日が消える。子どもの行事の前の日でも、月初というだけで半日が消える。

店長の経験がある人なら、この感覚は説明しなくても伝わると思う。日中は店に出て、人を見て、クレームを受けて、発注をして、それでも終わらないぶんを夜に持ち帰る。本部側で数字をまとめる立場になれば、今度は全店ぶんがのしかかってくる。一店の小さなずれは、その店にとっては数百円でも、まとめる側から見れば「どこかにある一つ」だ。どこにあるか分からない一つを探すために、合っている残り全部を見直す。これが、月初のたびに繰り返される。

ある月、私はそれを追いきれなかった。差は小さかった。月末の処理に追われていて、正直、もう疲れていた。「この程度なら、どこかで丸めが起きたんだろう」と自分に言い聞かせて、合わないまま締めた。合わない数字を、合ったことにした。

数字を移し替えるだけの三十分は、せめて正確だと思っていた。でも私は、肝心なところで正確であることを自分から手放した。

毎晩三十分かけて数字を集めていたのに、私はその数字を、ちゃんと見てはいなかった。集めることと、見ることは、違う。あの夜の私は、集める係ではあっても、見る人ではなかった。

「集める係」をやめてみて、分かったこと


ここまで読んで、ファイルを開いて待つあの三十分に覚えがある人なら、たぶん心当たりがあると思う。あれは作業ですらない。作業の前の、待ち時間だ。待ち時間に給料は出ているのに、待っているという自覚すらなくなっていく。

仕組みに手を入れてみて、一つだけ分かったことがある。集約という行為は、人がやらなくても成り立つ。各店の数字が一カ所に、待たずに、勝手に集まってくる形がありうる。そうなると、私の三十分は丸ごと消える。月初の半日も、追うべき差だけが最初から浮き上がってくるなら、別の使い方ができる。合わせるために半日をかけるのではなく、合わない一箇所だけが、最初から赤い顔で待っている。そういう形だ。

どう作ったかは、ここでは出し惜しみさせてほしい。道具の名前も、組み方も、運用の回し方も、書こうと思えば書けるが、書いてしまうと「なるほど、やってみよう」で終わってしまう。終わってほしくないのは、私がまだ一つだけ、誰にも言えていない話を抱えているからだ。

それは、あの夜のことだ。「丸めだろう」と私が片づけた、あの小さな差。集約を自動で回せるようにして、ようやく数字を落ち着いて眺められるようになったとき、その差が、思ってもみなかった場所からもう一度、私の前に顔を出した。

最初に書いておくと、あれは丸めではなかった。一つの店の現金の扱いに、ごく小さな綻びがあった。あの夜にずれていた数百円は、その綻びの最初の一滴だったのだ。最初に気づけるチャンスは、間違いなくあの夜にあった。私はそれを、疲れを理由に流した。

そのあと数ヶ月、私はそのことを忘れていた。集約が自動で回り始めて、毎晩の三十分が消えて、月初の半日が短くなって、私は少し得意になっていた。仕組みに任せれば、見るべきものが勝手に浮き上がってくる。そう思っていた。実際、ある月の突き合わせで、自動で並んだ数字の一つが、前にどこかで見た覚えのある形をしていた。あの夜、私が「この程度なら」と片づけた、あのずれと同じ顔つきだった。半年近く経ってから、それがどこから、どんな形で表に出てきたか。あとから事情を聞かれて、私が口の中で何をつぶやいたか。

その一部始終を、現金の集約をどう自動で回したかという話と並べて、記事に書いた。手作業を逃がした実例そのものより、私が一番書きたかったのは、ここだ。集める係をやめた人間が、やめてはじめて見えてしまった、自分の見落としの行方。あの数百円が、最終的にどこへ流れ着いたのか。それが分かったとき、私が机の前で何分動けなかったか。

道具の話だけが欲しい人には、たぶん向いていない。けれど、毎晩あの三十分を過ごし、月初に「この程度なら」と一度でも流したことのある人になら、あの夜の続きを、最後まで読んでほしいと思う。

『店長が「数字を集める係」をやめた日 ── AIと小さな自動化で、多店舗運営を仕組みに変えた実例4つ』



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