点検表の○が、本当にその場で付いたのか分からなくなる日

点検表の○が、本当にその場で付いたのか分からなくなる日

記事
ビジネス・マーケティング
午後二時、客の引いたフロアの隅で、私は朝の点検表の空欄に○を埋めていた。

朝いちばんに回すはずだった衛生チェックは、納品の検品と、急な欠勤の穴埋めと、本部からの電話で、とっくに吹き飛んでいた。だから、見てもいない朝の欄に「まあ、いつも通りできていたはずだ」と遡って○を入れていく。トイレ、冷蔵庫の温度、床、バックヤード。一項目に三秒もかけない。手が勝手に動く。嘘をついているという感覚すら、わいてこない。だって、たいていは本当にできていたから。

この○を、夕方までに本部へ提出しなければならない。提出すれば、私の店は「今日もきちんと回っている店」として記録に残る。実際に回っていたかどうかではなく、紙の上で揃っているかどうか。店長をやっていた頃の私が日々求められていたのは、現場そのものではなく、現場が整って見える一枚だった。そして、整って見せるだけなら、後からペンで足せてしまう。

ただ、その○は、見た記録ではなかった。見たことにした記録だった。形はまったく同じ○でも、中身は空っぽだ。そして紙は、その空っぽを、決して告げ口しない。

【きれいな○ほど、なぜ信じてしまうのか】

その空っぽの○に、後でひどい目に遭わされた。

店長を離れて、複数の店をまとめて見る側に回ったとき。ある店の点検表が、半年ずっと、判で押したようにきれいに埋まっていた。○、○、○。私はそれを見て、ここは回っている、と判断した。手のかかる別の店に時間を回して、その店からは足が遠のいた。

現場は、とっくに崩れていた。私が信じていた半年分の○は、できている証拠ではなく、できていることにしておきたい誰かの願望だった。気づいたのは、数字が目に見えて落ちてからだ。立て直しに、ずいぶん長くかかった。あのとき足を運んでいれば、と今でも思う。

複数の店を見る立場になると、一日に回れる店の数は限られる。どの店に時間を使うかを、こちらは何かを根拠に選ぶしかない。私が根拠にしていたのが、あの点検表だった。きれいに埋まった店は後回し、空欄や乱れの目立つ店から先に。一見、理にかなっている。けれど、その判断のもとになっていた○の半分は、見た記録ではなく、見たことにした記録だったかもしれない。土台が空っぽの上で、私は毎週、どの店を見捨てるかを決めていた。

不思議なのは、埋まり方がきれいな店ほど、私は安心してしまったことだ。乱れた表は「ここは怪しい」と勘が働く。けれど一分の隙もなく揃った○の列は、こちらの疑いを先回りで黙らせてしまう。整っている、という見た目そのものが、確かめる手間を省かせる。後から思えば、いちばん見に行くべきだったのは、いちばんきれいに見えた店のほうだった。

自分がやっていたのだから、人もやる。それは分かっていたはずだった。分かっていたのに、紙の○を前にすると、こちらには確かめる手立てがなかった。「本当にあの朝、見ましたか」とは聞けない。聞いても水掛け論になる。判断する材料が、最初から手元に存在しない。現場を映すはずの点検表が、いちばん知りたい「本当に見たか」だけを、映していなかった。

【点数を集めていた私は、見るべきものを見ていなかった】

そこを変えようと、点検の仕組みに手を入れた。中身の作り方はここでは省くが、要は、いつ・誰が出したのかが後から動かせない形にした。それだけで、後付けの○はかなり減った。月末になって「あの店、まだ出てない」と気づく、あの気まずい追いかけっこも消えた。

けれど、肝が冷えたのは、そこではなかった。

同じ店の同じ項目に、見る人によって違う評価が並ぶようにしてみたときだ。店が自分で付けた評価と、現場に立って確かめた評価が、平気で食い違う。ある店は、胸を張って○を付けている。その同じ場所が、外から見るとできていない。点数が低い店より、「できている」と心の底から思い込んでいる店のほうが、はるかに手強かった。低い点はやれば上がる。けれど、本人の中で問題が存在しない場所は、何度言っても動かない。

しかも、その思い込みを責めることもできない。かつての私自身が、午後二時のフロアの隅で、できていたはずだ、と信じて○を付けていた。悪意があってずれるわけではない。本人は本当にできていると思っている。だから「ここ、できていませんよ」と外から差し出される評価は、最初は受け取ってもらえない。同じ項目に二つの評価が並んで初めて、その食い違いそのものが会話のきっかけになる。揃った○の列を眺めていただけでは、この会話は一生始まらなかった。

点数を一生懸命に集めていた頃、私はいちばん見なければいけないものを、ずっと見ていなかった。その事実に気づいたときの、足元が抜けるような感じを、今でも覚えている。きれいな○を信じるとは、こういうことだったのか、と。

【整った表ほど、確かめなくなる】

きれいに揃った○ほど信じてしまう。これは点検表に限った話ではないと思う。集計表でも、日報でも、人は整って見えるものを前にすると、その裏を確かめる手間を省く。整っている見た目が、判断を奪う。私が多店舗の現場で手作業を一つずつ仕組みに逃がしていく中で、いちばん長く尾を引いたのは、たぶんこの「見た目を信じてしまう」癖だった。

現金の集計、点検、出勤の連絡、残業の計算。夜中まで私を縛っていた手作業を、どう仕組みに移し替え、どこで読み違え、その癖がどんな形で顔を出したか。一本の記事に書いた。きれいな○を、あなたはどう疑えるか。その問いが、あなたの現場の見方を少し変えるかもしれない。

『店長が「数字を集める係」をやめた日 ── AIと小さな自動化で、多店舗運営を仕組みに変えた実例4つ』




サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す