オンラインで日本語を教え始めてから一年半経ちますが、言語についてより深く考えるようになりました。
ジャック・ラカンの精神分析的な観点から見ると、漢字と仮名が混淆する日本語で表現することは、外国語、すなわち、中国語への絶えざる〈仮想的な翻訳〉であるといわれます。仮名でさえ、もともと、漢字の音声的使用のアナロジーです。このような構造をみれば、日本語は、〈記号接地〉を欠いたLLMに類似するといえるかもしれません。しかし、同時に、それを補完するかのように、擬音語や疑似的擬音語といったアイコニシティが、特に漫画、そして、日常の言語使用においてもかなり顕著です。
語は、二字より成る漢字列で表現されることがほとんどですが、これは、日本語におけるエクリチュールへの動機がそもそも、5-7-5-7-7という韻律をもつ短歌の文字化だからだったようです(8世紀の『万葉集』の編纂)。
以上のようなエクリチュールの自律性(シニフィアンからシニフィアンへの絶えざる変換)・物質性から、ラカンは、日本語を『フィネガンズ・ウェイク』に喩えさえします。
ご興味のあることを是非お知らせください。それに合わせて柔軟なレッスンをご一緒につくっていきたいと思っています!