私たちに欠けているのは、知っているものを深く考える能力である
(役に立たない思い出や風景)
心が疲れたり、悩んで嫌になったとき、そっと寄り添うバラードがある。
こんなもの読んでも立ち上がることは出来ない。でも、すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる、これも経験済みだ。いつもそうだった。だから今は心に体重をしっかりおきながら、思ったことを確かめたい。この記事の中でこんなことを書いた。私たちに欠けているのは、知らないものについての知識のことなのではなく、知っているものを深く考える能力である仏社会学者 エドガー・モラン 「科学の言葉」「深く考える」とはどういうことか。わからない。でも、出来るとしたら、「この子は、どう生きてきた子どもなのか」に目を向けることだと思う。そして最近こんな記事も見つけた。「5人家族のうち父、兄、妹が自死。母親は離婚後は疎遠に…」 京アニ放火・青葉真司被告が陥った過酷な家庭環境“負の連鎖”(文春オンライン より)京アニ放火・青葉真司被告が陥った過酷な家庭環境“負の連鎖”だから、もう一度読んでいただきたい。テレビが劣化、陳腐化している。朝、時刻を確かめるためにテレビをつけっぱなしにしている。それでも、以前は何か興味を引く情報が飛び込んできた。身支度が遅れるほどに・・でも最近は・・食べモノ、ジャニーズ、お笑い芸人、野球、サッカー。。。チャンネルを変えても同じことを繰り返している。生番組に芸能人が出れば、それは今日の夜番組の宣伝のため。
誰かに見てもらうためと言うより、テレビに出演する人たちの間で繰り返される村社会の掲示板のよう。それをみんなが見たいと勘違いしている。節電と伝えながら、テレビの無駄は報じない。都合の悪いことは隠す。
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