混ざりあうことがない人たち

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コラム
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凪良ゆう著「流浪の月」を読み終えた。

この文庫本を本屋で手に取ったのは、「映画化決定」の文字からだった。どうも私はこの謳い文句に弱いようだ。そのとき私は映画のスクリーンを前にしていた。物語はまだ始まっていない。帯裏を見ると出演者名に広瀬すずの名前があった。思い出す。「三度目の殺人」で見せた、足と影を引きずる少女の演技に魅かれた。この女優は何処か不幸で訳有りな役が似合うと、勝手な妄想を広げていた。そういえば、映画館入り口のポスターで「流浪の月」を見た覚えがある。それでもその時はそのままスルーしてしまった。いま本屋の書棚を前にしてスクリーンを想像している。観ておけばよかったと後悔している。さらに小説は「本屋大賞受賞作」と帯に謳ってあるではないか。
ページをぺらぺら捲りながら、ろくに読みもせずこの文庫本を買うと決めた。

それでも文庫本「流浪の月」は三か月のあいだ、私の書棚に横づけされていた。積まれた小説たちの中で、いつ来るかわからない出番を待っていた。
そして今日、やっと読み終えた。

作者の描く二人の動きに、広瀬すずと松坂桃李の顔が重なる。
誰も殺されない、凄惨な事件も発生しなかった。それでも読み終えたとき、濁った湖の底に向かって更紗(広瀬すず)と文(松坂桃李)が手を繋いで沈んでいく感覚が残った。しかし、二人はこころまで泥を吞み込んでいない。更紗と文、作者が描く二人の心理描写は何処までも正直で澄んでいた。
他人と違う自分、親からも「ハズレ」と認識された文、誰にも理解されない事情を抱えながら、そのときそのとき染み出る感情に言葉を拒んだ更紗。二人は再会し居場所を見つけたかのように思えた。それでも最後まで二人は混ざらなかった。
三百ページを読み終えたのに、このままではいやだ。私のこころが落ち着かない。
だからこの切なさを書いて残すことにした。書けば何か見つけることが出来るかもしれない。私は確かな手ごたえが欲しかった。
書評でも映画評論でもない。これは、私のこころを落ち着かせるために書いている。
だから、本や映画のあらすじを知りたい方はご自分で確かめていただきたい。

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「混ざりきらない色たち」

小説を読み終え、深く沈みこむ感覚のなかで言葉はいくら探しても見つからなかった。しかし、この感覚を文字でなく、イメージされた絵のなかに見つけることができた。探し当てたのが、この「混ざりきらない色たち」だ。


「すこしずつ心が死んでいくわたしに居場所をくれたのが文だった」と更紗がいう。「それでもいい。僕にとって更紗はたったひとつ残った希望だった」と文がいう。

そして
「わたしは文に恋をしていない。キスもしない。抱き合うことも望まない」
「けれど今まで身体をつないだ誰よりも、文と一緒にいたい」
と更紗は言った。

黄と緑が出会い黄緑色になるような、男女が普通に混ざり合い新しい関係に二人はならない。でも「混ざりきらない色たち」だって、それだけで私を魅了する。

本の帯に「新しい人間関係への旅立ちを描いた、息をのむ傑作小説」とある。でもこれは新しく奇異な関係ではないと思う。私たちはただ、「普通の輪」の外側に二人を置き去りにしてきただけだ。「新しい」という形容詞で見ようとしなかったものをいま見始めている。

小説を読んで二人の過去を憂うことはできる。でも憂いは地縛霊のようにいつまでも今に居座る。決して私を手放してくれない。だから過去はもう探さない。

更紗が文という居場所を見つけたならば、それでいい。ハッピーエンドな物語として自分を納得させることが出来る。


「流浪」しても二人は存在している。「月」のように満ちたり欠けたりしても、ずっと過去からひとつの存在だ。だから二人をこのままそっとしておいてあげたい。

これで私のこころも落ち着きを取り戻すことができた。
それでも…。
分ったようなことを書いていても、この関係を私はまだ疑っている。
だから、また来年この小説を読んでみたい。
また別の更紗と文を発見できるかもしれない。



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