名もなき毒、そして、私の怒りはこころに盛る毒だった

名もなき毒、そして、私の怒りはこころに盛る毒だった

記事
コラム
51LReGdg-ZL._SX339_BO1,204,203,200_.jpg

       「名もなき毒」(文春文庫 宮部みゆき 著)

2013年にTBSで放映されたドラマの原作です。小泉孝太郎主演のミステリーでした。「誰か somebody」も原作ですが、私はこのタイトルに惹かれます。

嫉妬、怒り、傲慢など、人は誰でも毒を持つ。
世間に大きな影響を与えなくても、誰でも、小さな、名もなき毒を持つ。

「名もなき毒」は「名もなき家事」と同じように、完全に無くすことはできない。 毒と言われても、生きていくには必要なものかもしれない。
だって、誰にも嫉妬しない、誰にも怒らない人生なんて何か生きてる躍動感がない。感情を失えば、目覚めて食べて動いて眠る、という生存本能しか残らない

だから私たちは、このような感情に様々な方法で自分なりの折り合いをつけて生きている。存在を赦し、うまく付き合うようにしている。

しかし、厄介なことに毒は単独でそこに留まらない。吐いた毒は、水に垂らした一滴の黒いインクの様に徐々に広がっていく。そしてインクは水より重い。だから、水面ではなく川底のあたりで留まっている。濁った水ではそれすら見えない。

こうして、嫉妬や妬み、恨みが他人に拡散していく。

この毒を自分で制御できず、他人を襲うのは哀しい。一線を超えれば許されないことになる。



そして、「私の怒りはこころに盛る毒」だった

生きていれば怒りを持つことはいくらでもある。部屋でひとりでいるとき、怒りを持つことがある。怒りの多くは自分が育てたものだった。嫌いな人のことを想像して、頭の中でその姿を大きくしている。世の不条理に水を注いで、怒りの芽を自分で育てている。

だから、気づいたら思うことをやめる。
楽しいことを考える。
便利なことに、ひとは怒りと快楽を同時に持つことはできない。

外から持ち込まれる怒りもある。
そんなときは、水に書いた文字のようにさらりと流して受け取らない。
「水に流す」をこんなときにも使う。


怒りは心に盛る毒です。
毒はやがて身体を蝕みます。
冷静な判断もできません。
何ひとついいことはありません。

生きていれば怒りを持つことはいくらでもあります。
でも、そんなときこの言葉をちょっと思い出して下さい。

「人は誰でも名もなき毒を持つ、私だけじゃない」
「私の怒りはこころに盛る毒になる」

それだけで心は落ち着きを取り戻します。  


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら