親であること、子であること

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コラム
(役に立たない思い出や風景)

心が疲れたり、悩んで嫌になったとき、そっと寄り添うバラードがある。こんなもの読んでも立ち上がることは出来ない。でもすぐ役にたつものは、すぐ役立たなくなる、これも経験済みだ。いつもそうだった。だから今は心に体重をしっかりおきながら、思ったことを確かめたい。

その日、私は退院後の検査のため病院に来ていた。通路に置かれた長いすに固く座り、レントゲン検査の順番を待っている。手持ちの用紙に記された番号は4568、この番号が何を意味するのか、今も分からない。番号用紙を胸に抱えた囚人の写真を自分に重ね合わせ、苦笑いを隠すしかない。そんな妄想を破壊するかのように看護師だけがてきぱきと動いている。清潔な空気なのに、冷たさしか感じられない病院の通路だった。

私の目の前を、大柄で屈強な男が老婆の手を引いて導いてきた。老女は腰も深く曲がり歩くのも覚束ない。それでも黙々と大男に従っていた。
髪に白髪が混じり始めたこの大男と親子であろうか。男は老女の歩幅に合わせ、目的地への道のりに少し苛立ちを抱えているようだった。ときおり老女に厳しく注意している。それは注意というより怒りに近いものだった。

その姿を傍で見ている身には、もう少し優しく言えないものかと嫌な光景を見た気分だ。しかし、その時の男の母親を見る目はどこか悲しげだった。ままならぬ老女への怒りではなく、年老いてしまった母への不合理な苛立ちと寂しさがあったかもしれない。

手を引かれる老女には、もう自分がこの子の手を引いた記憶はないだろう。今手を引いている息子にも、この母親に手を引かれ駄々をこねてた自分の姿も、記憶の隅にもないかもしれない。


恥かしいけれど、たまにはそんな自分と母親を思い出してみよう。
小さい頃、母親とつないだ手には、繋がるあたたかさがあった。何があろうと自分はここにいていいんだという安心感が得られた。子供にとって親は唯一のものだった。逃げ場と言えるかもしれない。

母親が老いた今、はたして自分は母親が安心感を得られる逃げ場となっているのだろうか。親であること、子であることをたまには思い出したい。


私の生まれた家には大きなさくらの木があった。祖父が建てた家だからかなりの年代ものだ。不釣り合いな大きなソメイヨシノが狭い庭を威張るように占領していた。台風の夜は小さな平屋がいつ潰されるかと家族みんながひやひやしていた。しかし春だけはご近所の憧れとなり、自慢の庭園になった。そして今では珍しい縁側のある家だった。

私と弟は温まった板の縁側で両足をぽんと投げ出していた。その真ん中で若い母が両手を思いっきり広げて二人を抱きかかえている。三人が口を開けてゲラゲラ大笑いしている。庭からお道化た父がカメラを向けていたからだ。暗くて寒い北側の台所をいつも嫌ってた母なのに、このときばかりは祖父のこだわった家とさくらの木に溶け込んでいた。小学生の頃だった。ただ無邪気だった。さくらの花びらもはしゃぐように舞っていた。

母という文字を見ると、いつもこのモノクロ写真を思い出す。
自分が子どもであったことはいつも思い出す。

親であることはどうだろうか? 思い出でなく、その時かもしれない。



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