まだ感情を取り戻す術はある

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コラム
○○の乳児殺害事件 母親に懲役5年求刑
生後間もない乳児を窒息死させたとして、殺人の罪に問われた無職○○被告(24)の裁判員裁判の論告求刑公判が14日、名古屋地裁○○支部であり、検察側は懲役5年を求刑した。公判では、双極性障害(そううつ病)を発症した被告の犯行時の責任能力の程度が争点となった。検察側は論告で、完全責任能力が認められると主張。
「慣れない育児から逃れようと犯行に及んだ」と指摘した。弁護側は「犯行当時、重度のうつ状態にあり、限定責任能力が認められる」と主張。保護観察付き執行猶予の判決を求めた。判決は22日。(記事一部修正有り)


新聞の地方版に埋もれていた記事だ。原稿用紙一枚分400文字で済まされていた。

私は、今月この裁判員裁判を傍聴している。今まで6回の公判が行われ、来週判決が下される。
裁判開始直前、法廷に被告が連れられきた。小柄な被告が大柄な二人の刑務官に挟まれ裁判官を待っていた。腰縄が解かれ黒く冷たい手錠が外された。中央には書記官、左の検察官、右の弁護人、それぞれ2名がいる。
3人の裁判官、6人の裁判人が法廷に入ってくると、傍聴人を含めたその場の全員が起立して無言で頭を下げる。傍聴人は毎回20名ほどだろうか、論告が行われた6回目の公判には4つの記者席も用意されていた。その一人が今回の記事を書いたのだろう。

「ひとりの若い母親が生後9日の乳児を殺害した」この事件には、この場だけでも多くの人が関わっている。二人の検事、二人の弁護士、三人の裁判官、6人の裁判員、そして傍聴人。公判で嗚咽混じりに自分の娘と亡くなった孫に懺悔する被告人の母親もいた。精神鑑定をした医師も証人として呼ばれた。選ばれた裁判員はこの場の言葉を一言も聴き漏らすまいと真剣な眼を被告や証言者に向けていた。被告の父親や母親の歳に近い二人の裁判員の顔は、真剣な表情のなかでも悲しげだった。裁判員に選ばれた人たちは、みな事件ではなく人間を見ていた。何が起きたのかを確かめながら法壇からずっと被告人を見ていた。

来週判決が下される。
どんな判決が出るか、傍聴人のひとりなのに私の感情も掻き回されている。黒い塊の表面が溶け出し、液状化した頭の中で濁り始めている。ひとりが亡くなり、ひとりがその罪を犯した。何のゆかりも無い事件なのにこんなに辛くなるものなのか。

こんなに辛い、どうしていいか、今何をしていいかわからない、黒い塊が身体の中で動き回り心の置き所がわからない。こんな思いは久しい。でも、みなさんにもこの思いを感じてほしい。法廷の傍聴席に座ることから始めてほしい。手錠と腰縄につながれた24歳の被告人の姿を自分の目で見ていただきたい。テレビのニュース画面だけでは心の中で何の化学反応も起こらない。

こうしている内にも、子供が犠牲になる事件が何件も知らされた。アナウンサーは1分で原稿を読み終え、笑顔で、「さあ、次はオリンピックの話題です」と強引に私の感情の尾を断ち切った。
だから偶然見つけたひとつの事件でいいから、何の関係も無い事件でいいから、心にしっかり体重を置いて自分の内側に起こった泥の海を覗いてみたい。それが私に出来ることだと思う。


どういう判決になるかということ、ではない。
この事件に関わった人たちを見て、自分はこれからどうするか、この変化が大事だと思う。

まだ感情を取り戻す術はある。
思いっきり頭の中を搔き乱してほしい。
何の関係も無い事件でいいから、今生きてる人間の体温を感じて欲しい。


私はどうしようか

決して世の中を正そうとか、変えようとは思わない。被害者や加害者を救うことも出来ない。卑怯者だ。
私の出来ることは、自分の身の回りから、近いところから整えていくことだと思う。目の前の家族の話をもっと聴き、心配し、いっしょに喜び笑う。ひとつひとつ丁寧に。それが、事件に関わった人たちへの礼儀だと思う。

美しいものは美しいと声に出して、うれしいときは笑顔をふりまき、哀しいときは、悔しいときも手で涙をぬぐいながら子どものように泣く。こんなこともいいかもしれない。


始めは新聞記事のわずかなスペースだった。
わずか200文字で2年前に起きた殺人事件の裁判が始まったことを知った。ここからこんな感情が湧いてくるとは思わなかった。でもとても大切な、温かい体験だったと今は思う。

24歳の母親は最終陳述で
「障害があろうとなかろうと、私が殺したことは消えない事実」と述べていた。
何とも哀しい言葉だった。


追伸
2022.02.22
懲役4年6カ月の実刑判決

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