ママという名の喪失
4人の子どものうち、全員が離乳し、3人がおむつを卒業し、2人が手をつないでくれなくなり、そして1人は別の部屋で過ごすようになった。昨日は、子どもたち全員と家族6人で、遠くの公園へ行きたかったのに、一人は友達と海へ行ってしまった。一人が自分の部屋で寝始めた時も、休日に家族でいることを友人に見られるのを嫌がり始めた時も感じた寂しさは、まさに「ママ」という名の喪失感からきていると思う。一人目をこの体に宿してからの10数年、私は「私」を隠し、「ママ」として存在していたように感じる。
それは、温かいご飯をゆっくり食べられなかったり、病院や用事を自由に調整できなかったり、自分の時間はほぼない、確かに窮屈な時間だった。けれど、同時に自分を後回しにすることで言い訳ができ、ある意味では自分自身と深く向き合うことを先延ばしにできた時間でもあったと思う。
子どもたちは、私が思っている以上に可愛く、私を夢中にさせた。自分に自信がなく、自分を好きになれなかった私を、彼らはそんなことを考えさせずにいさせてくれた。気づけば私は、いつのまにか「自分はこのままで十分いけてる」と、そう思えるようになっている。
以前、親戚のおばさんが「子どもたちが周りにワチャワチャいたあの頃が一番楽しかった気がする」と言っていたけれど、私にとっては「今」がその過渡期であり、とても大切な時間なのだろう。いつでも大切な時間と思いたいけれど、それでも、この瞬間はもう戻ってこない。
「ママ、抱っこして」「ママの隣がいい」「ママ大好き」「ママ、見て見て」「ママ、公園に行こう」――。 だんだん減ってきた「ママ」と呼ばれる回数。
この「ママ」と
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