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見えない世界でも人間界でも、警戒するモノは割と同じ。

「お前の願いを叶えてやろう、ワシは神だ」なんて言って神が登場するという、どうやらノンフィクションらしい話を見かけて私は頭痛がしていた。そんな神がいれば、人間は総じて豊かであるし、そもそも選ばれた人間だというアピールなのであれば、なぜそうなったのか。 その経緯の説明は全くなく、とにかく自分は覚醒した、という事らしい。この業界にいるホンモノと言われる人であるならば、それが神ではない事は容易に理解するだろう。 神なんてものは多くを語らない。むしろ殆ど何も語らない。 私だって、入ってくるイメージを何とかして言語化しているが、言語で会話なぞした事がない。  自分で「神」と名乗り、また、他の神を騙り登場するモノに碌なモノはいない。 なのに、自分に「神」がおりてきた、と喜んでいる人を見ると私は頭痛がするのだ。そもそもそれが「願いを叶えてしんぜよう」と言ったとは。 そんな有難い事なんて一度もない。ああ、うらやましいぜ(棒読み)でもそんないわゆる「神上がりしたモノ」に踊らされる人ってのは結構いるわけで、それはやはり、当人にとっても全くよろしくないわけだ。 神上がりしたいモノというのはとても饒舌で、そして少々力もあったりするんで本人やその依頼者の願望をばんばん叶えてしまったりもするし、事細かに情報を与えてくれるので、霊能者としての名は間違いなく売れると思う。しかし、その本人が手を組んだモノは、対価を求めてくる。 それは何かと言えば、本人の魂だったり、気だったり、つまり本人を保つのに必ず必要なモノ、である。それなのに「自分は神に選ばれた」と喜んでいる姿を見て、忠告も届かない様を見て、私もさすがにもう
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タイラー(平良)という、裏方を引き受けた生真面目な男【よろず相談処鑑定メンバー紹介】

裏方担当、タイラー。 ここではあまり出てこないが、よろず相談処には裏方担当がいる。もしかしたら、たまにお待たせしている際にお詫びに登場するかもしれない。タイラーとの付き合いは、実はまあまあ長い。 本当は平良というのだが、こちらとしてはずっとタイラーと呼んでいるのでタイラーである。 お問い合わせに登場する時はちゃんと平良として出てくるが、タイラーだ。 生真面目で、融通がきかないところもあるが、 それでも、タイラーはとても気が利くし、人の気持には人一倍敏感だと思う。ある日、タイラーが裏方を申し出た「よかったら矢面に立ちましょうか」 ある日、突然にタイラーが無表情のまま言った。 この矢面という言葉は、当たり前だがお客様に向けられたものではない。 「面倒でしょう、色々と」 全部を察した言葉だった。 そうだな、面倒だが、この性格だ。同業アンチが多いのは仕方のない事だ。 だから構わん。私は何もやり方を変えるつもりもない。 それにアンチで繋がった絆なんて、いつかこじれるだけだ。ほうっておけば良い。 「ま、そりゃそうです。でも、表向きの対応と裏方事務ぐらいはやりましょう」 「それに、他のメンバーだって護らないといけないでしょう」 確かになあ、手一杯感はある。 「だったら、それぐらいは人に甘えたらどうですか」 いかにもタイラーらしい言葉だった。 甘える、という事を知らない私に向けて、一番刺さる言葉を持ってきた。 「それに、僕は表には出たくないんでね」 普段、無表情の極みのタイラーが、うっすらと笑った。こんな世界にはうんざりだ。タイラーは実は遠い親戚だ。 という事はタイラーももれなくそういった力が
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一(はじめ)の祓いの方法と、その代償と優しさ【よろず相談処鑑定メンバー紹介】

祓い屋、一(はじめ)。私が一と出会ったのはいつだっただろうか。正直、最初の頃は、「神社好きのふざけた野郎」という印象だった。いや、単純に一の言葉の伝え方が下手くそだっただけなのだが、とにかく、第一印象は「ふざけた野郎」だ。それでも、何の縁があってか、少しづつ話をする機会が増え、気がつけば弟子入りしているというのだから、世の中何があるかなんて霊能者ですら分からない事だらけだ。ターニングポインターも、自分のご縁については先読みは出来ない事が多いよ。一の家にいる預かりモノたち一の家には、色々な、神だけでなく、そうだな、とにかく、色々なモノが居る。それは、知らずにではなくあえてのものであり、それは一の優しさの1つでもあった。「魑魅魍魎ランド」等と言って笑っているが、それでも、私はその経緯を知らない者に、この言葉は言わせない。そうだな、文字通り、三発ぐらいは殴らせてもらおうか。なあに、一が殴るよりは痛くないさ。一と違って、私は全く鍛えていないもんでね。何故、一の家はそうような事になっているのかと言うと、それは一の優しさからでしかなかった。一は、所謂、「見捨てられたモノ、見捨てられそうだったモノ」にとても慈悲深く、結果、「行く処がないのであればついて来い」と引き受けてきた結果でしかなかった。私はまず、そこで一を見る目を変えた。私は「祓い」をゴミを捨てるかのように行うのが大嫌いであることは常々発言している。それと同じ考えを持つ人が存在することになぞ期待すらしていなかった。それを、誰に教わったでもなく、一がやっていた。それだけで、一という存在は「ふざけた野郎」から「良いやつではないか」へ変化し
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