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やなぎ離婚成立物語 離婚成立編

こんにちは!やなぎですm(__)m今回の記事は「離婚成立編」ということでいよいよ物語の完結となります。前回の記事で離婚法律はその力を存分に見せつけてくれました!5年越しの離婚調停ではどのような展開となっていくのか?認められることが困難な状況からどう変化していったのか?その辺りの経緯となります。それではどうぞ!待ちに待ったこの日が来た!辛い日々を指折り数えて、ようやく別居開始から5年半という月日が経過した瞬間!再び弁護士に連絡を入れました!( ゚Д゚)!「5年が経過したので、改めて離婚についてお話をすすめさせてください。」すると、弁護士から返信が来ました。「それでは改めてご依頼を受けることになりますので、着手金として20万円の支払いが必要になることと、今後の流れを予想するに少なくとも200万円以上の準備が必要になると思われます。ですので、一度ご両親とも相談してみてください。」やなぎ「(._.)…わかりました。」さらに4年前の調停は不調として終わっているため、再度調停から開始する必要があるとも伝えられました。てっきり前回の続きという形で進んでいくものだと思い込んでいたので、そこは違うのだと知りました。基本的には急に裁判へと話がすすむことはないそうです。その内容を親に伝え、とりあえずの了承を得ました。離婚するためにお金が掛かることは4年前の調停離婚で聞かされてはいました。なので、その心の準備はある程度してはいました。けれど支払いを続けてきたこともあり、まとまった金額を提示されるのは正直キツかったです。ただ、このままの生活を続けるよりは手切れ金のようなカタチで別れられるのならそれでもい
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友達

こんばんわ~~~タカ3@です。このブログを書いている、ただいまの時刻は深夜1時過ぎ・・・。昼寝しすぎて、目がランランです(笑)さきほどまで、古くからの友人(趣味仲間の女性)と長電話をしてました。 彼女は現在、離婚調停中で数日後に3回目の調停が行われます。 私もそうでしたが、離婚調停数日前は気持ちが落ち着かず、ソワソワしたり、イライラしたり・・・・・。いろいろと考え、悩んでいる友人の話を聞いていて思うことは、結局は、なるようにしかならない(ケセラセラ)って事です。当事者からすれば、どうなるのか?と不安やいらだちもあるのは当然です。 こればっかりは、当事者でしか分からないこと。女性は、基本的に悩みを聞いてほしい。男性は、解決やアドバイスをしてしまう。これは、男性脳と女性脳の違いなのでしょうね・・・・。僕は、結構話すほうなので自分なりのアドバイスや考えを友人には言うほうです。 考え方や価値観は人それぞれで難しいこともありますが、聞かれたらきちんと自分の思う意見を言います。  求められない場合は、言わないですけど。人はみな、自分の価値基準があるので、どちらが正しいとかはないとは思います。 育った環境や友人、生きてきた歴史がその人の人間性をつくる。それぞれに正義がある。とは、言っても全く話し合いにならない人も確かにいるのですが・・・。  ですが、僕はこうも思います。 「苦労はしたくないけど、苦労した人ほど味がでる」「傷ついてきた人ほど、人の痛みがわかる」 人それぞれ、悩みを持ちながらも毎日を生きていますよね。考えることは、悪いことじゃないですが、考えすぎるのはそれこそ、考えもの。 なるよ
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離婚成立までにやって良かった事

こんにちは 真衣 まみです(#^.^#) (まい) 私は、自分自身が 毒親に育てられ とても生き辛い時間が長かった 【毒親サバイバー】です つい最近になってやっと 毒親を許せたことで 幸せを掴むことができました! 40年もかかってしまいました( ;∀;) ✅親がしんどい ✅毎日が辛い ✅頑張っているのに空回り ✅子育てに行き詰っている 上記の✅がつく方向けに 『毒親育ちのお悩み相談110番』 というサービスをご提供しています離婚のお話ついでにハッシュタグからヒントを得て(そんなことに興味ある人がいるのかしら?)とは思ったのですがハッシュタグになっているということは多くの方がそのキーワードを入力しているということよね?と理解しまして離婚成立までの流れと私がやって良かったことを書いてみようと思います私は①調停②公正証書作成両方とも経験しましたなぜ2つも?答えは①調停では養育費の金額が定額に決められなかったためです(私たちは元夫の手取り額の〇%としたかったのですが金額がその月によって変動する仕事だったため)よって調停は「離婚成立」のみで終了しています話し合いのできない関係でしたのでもちろん調停しかも、声を聞くだけで恐怖で動悸がするので元夫とは別室での話し合い(調停員さんが私と元夫の部屋を行き来してくれて、お互いの希望を伝え、持ち帰ってきてくれる、というスタイルでした)今はコロナの後でオンラインも進んでいるようですが当時はそれが精一杯でした調停には完璧に仕上げた自分なりの調書(時系列でどんなことがあり今こうして調停に至っている等)に事細かに記して準備して臨みましたその調書作成には市の無
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10-話し合い

浮気が発覚したあと、相手方の母親に連絡しました。ええ、ええ被害者ぶって電話してやりましたよ。私の愚痴を吐き出したい気持ちと、母親経由で娘(元妻)を説得してくれないかな、という考えもありました。夜中にメールしたりして、心労をかけてしまった様でしたね。それは少し申し訳なかったかな。でもやはり、親は子どもの味方なんですよね。私が使ったGPSの件も筒抜けでした。離婚の際、相手の親は信用し過ぎてはいけません。離婚調停を何回か(3回位かな~もう少し多かったかな)行った結果、調停は取下げ、親権は私、という事にしました。で、元妻は私の家(社宅でした)の近くに住み、子ども達は基本的に向こうで夕飯を食べるという、とても中途半端な感じに落ち着きました。現実的に自分が夕飯を用意するのは時間的に無理があったので、その方法を受け入れました。相手の事は、今ではそんなに恨んでないですね。でもなるべく接したくないし、早く死んでくれないかな程度には、嫌いな感情は残ってます。きれいにはいかないですよね。私の実家にも、最後のあいさつで、元妻の両親と話に行きました。その場では、「不倫」の話題は出さない様に義両親にはお願いしました。私から両親に離婚するかも、という話をした際にも、不倫の話は隠しました。自分が親だったら、子どもが不倫されたと知ったらショックだろうし、俺が悪者でいいや、と思っていたからです。親同士の話は短めに終わりました。というか、元妻の父親が口が軽いので、ウッカリ不倫の話題を出さない様に早めに切り上げた感じです。もうお互い話す事もないですしね。不倫の事を隠したのが良い事か悪い事か、今では良く分かりませんが、
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新しい人生の幕開け…34

そういえば、あの後、お義母さんたちは本当に「歩いて」家に帰ったんだろうか。ふと思い出して、旦那に電話した。旦那はすぐ出た。まだトラックを走らせているようだった。「おう!どうした?」という相変わらずの応答だったが、事情を説明した。そしたら「なんだってな…。役に立たない奴らだな…。俺になんにも連絡きてないから、どうせ親父に迎えに来てもらったんだろ、どこかで」という返事だった。「悪いけど、私もそれどころじゃなかったし、止めけどどうにもならなかったし…。あとであなたから連絡してみて。なにかあったら大変だし。」と。「わかった」と言ってくれたが…「それと…赤ちゃんの名前、もうそろそろ決めなきゃいけないんだけど…いつ帰ってくる?」と聞くと「おう!そうだな!明日帰る予定だ!その時決めて、市役所に出しに行かなきゃだろ?」というので「うん、そうだよ。子供たちも名前ないと呼びにくいし、この子もかわいそうだよ」と…。そうすると旦那は「俺も考えてはいるから帰ったら二人で決めよう」ということになった。今までどの子も「私が付けた」とか「二人で話し合って決めた名前」という子がいない。裁判で取られた息子も元旦那の親と義姉さん。娘もそう…。手元にいる息子は、憎いあの母親。そう、勝手に名前を決められて出生届を出された。私の入院中に…。だから、せめて「二人」で決めたかった。全部自分の思い通りにとは言わない。二人で…。そして、ようやく寝ることにした。3人で寝ていると子供の成長がすごくわかる。体が大きくなったな…寝相が悪くなったな(笑)…そうしていると、赤ちゃんがミルクの時間で泣き始めた。最初は子供たち起きるかな?と心配
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調停委員とは?

こんにちは。こぶき行政書士事務所・行政書士の小吹淳です。今回は、調停委員のお話です。調停委員とは、離婚調停における手続の進行役、夫婦の利害の調整役を担う人です。夫婦それぞれから話を聴いたり、提出された資料を読み込んだりしながら合意案をまとめ、合意形成を促します。調停委員は裁判官でも裁判所の職員でもなく、社会生活上の豊富な知識経験や専門的知識を持つ人の中から選ばれる非常勤の裁判所職員です。必ずしも弁護士などの法的知識に精通している人が選ばれるというわけでもなく、民間企業を定年退職した人や公務員OBなど選ばれる人は様々です。年齢は40歳以上70歳未満の人で、任期は2年です。離婚調停は男性調停委員1名、女性調停委員1名の計2名の組み合わせで行われます。【サービスのご案内】
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家庭内別居について

いつもお読みいただきありがとうございます🌟。:*スピリチュアルセラピストのひーくんです😊もう9年も前になりますが、家を新築し引っ越しをしたその日の元妻からの一言。「家庭内別居します。2年以内にこのしょうもない家から出ます」以前から「好きな人ができた」と言い出し、夜な夜な外出するなど、とんでもないやつでした。時には鬼の形相で包丁を突きつけられ、モラハラを受ける毎日。そうなったのは、私が全て悪いと何故か思ってしまい、どうにか立て直そうと努力してしまいました。なぜあの時◯◯◯めしておかなかったのか。その後、数年にわたる離婚騒動の始まりでした。何か気になることがありましたら、お気軽にメッセージくださいね(^^♪こちらも是非😊最後まで読んでいただき、ありがとうございます⭐️今日一日が素敵な日となりますように😉皆さんに、愛と光を送ります🌟。:*
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それぞれの葛藤と開く道

次男は、登校拒否になっていた友達の所に毎日通い 一緒に漫画を読んだりゲームをしたり、時には家の事情を話していた。友達は、「離れていてもお互い頑張ろう。6年からは学校に行く。」そう言ってくれたみたいだ。彼もまた、母子家庭で祖母と母親の3人で暮らしていた。その家族は、次男の事も我が子のように可愛がってくれた。次女もまた、演劇部で色んな役をする事で自分を表現していた。喜怒哀楽、普段あまり表に出さない次女が舞台という場所で自分を表現し、人を笑顔にしたり感動を与える。彼女は、本気で舞台女優になることを目指し始めた。夜、あの人が帰ってきたとき条件を出された。親権は4人とも父親にする。ただし、次男の養育権利を譲渡する。すなわち、次男は一緒に実家に行けるのだ。次男の養育費は、月3万支払うとのこと。もちろん、納得など行かない。私は頑として、家裁調停を続行することを伝えた。あの人は、無言の圧力、わざと大きな音を立てるなど、私の精神は限界だったが、3月末には家を出なければいけない。。。並行して自分の引っ越し準備、「引っ越しはどうしよう・・」お金などない。でも、動くしかないのだ。次男の転校手続きを終えて、新しい学校の転入手続きもした。主治医にも事情を話し、紹介状を書いてもらった。主治医は、心底心配をしてくれていた。「今の私の精神状態で、裁判や引っ越し 様々な手続きに関して、思考能力が落ちている中 着実に行えるのか、代理人を雇った方がいいのではないか、パニックを起こした時の対処」など様々な面からアドバイスをしていただいたが、気丈な私は「最後まで自分で戦います」そう言って、病院を後にした。引っ越し前に、第
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ある不倫のゆくえ

人づてに聞いた泥沼不倫の話を、不倫女(蒼芭)、不倫夫(柊)、妻(柚葵)の立場からフィクションいれて書いています。 立場が違えばこんなにも思うことが違う、人は自分が一番正しく、自分の思い込みで生きています。私が思うことは、自分がどうしたら幸せなのか自分を幸せにすることが一番大切、だけど周りを不幸にしたら自分も幸せになれない、自分のことだけ考えていても幸せになれないし、世間に不満だけを言っていっても幸せになれないよねと思います。 不倫という人間のエゴの中で何か気づきがあればと思い、書いてみました。
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変わるもの、変わらないもの

いつもお読みいただきありがとうございます🌟。:*スピリチュアルセラピストのひーくんです😊毎朝拝聴している円覚寺管長日記のYouTube配信。こんなフレーズがありました。「変わらないものはないという真理のみが不変なのです」ハッとしましたね。その時、目に飛び込んできたのが、二羽の鳩。鳩はつがいで行動することが多いんですよね。人の心は移り行くもの。夫婦関係も、ずっと同じではなく、その時々で変化していく。ずっと変わらないと思っていると、大きな反動があるかもしれません。いつもと違ったことを少し加えることが、良好な関係を続ける秘訣かもしれませんね。最後まで読んでいただき、ありがとうございます今日一日が素敵な日となりますように皆さんに、愛と光を送りますね🌸。:*こちらも是非!!
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