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関係性

意識に 入ってくるものを 自分の意識の 一部として さからわずに 受け入れることが 愛であると するなら それは 自分の意識と 外の世界(意識)との 共同作業を 意味しています その意味からも 人は一人では 何一つ 完結するものではなく 人と人の関係性の 中にあって 初めて十二分に 生きていると いえるのでは ないでしょうか それはあたかも 宇宙(意識)を 自らが 感じるために 複眼的な視点を 人々に与えている かのように 感じています
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「玩具共同作業」

【弟の玩具】 6歳の時 団地のすぐ下の砂場で遊んでると 母親が来て一緒に弟の保育園に 迎えに行こうと声をかけに来た。 しかしこの時俺は 砂場で高い山を作り始めてて トンネルも掘り終わり あと道を作れば完成まじかの状態 なのでこのまま山を完成させて ミニカーを走らせて遊びたいから 「ここで遊んで待ってる」と言い 母親の誘いを断った。 °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖° 俺のこの返事に母親が 「なら迎えに行って買物するから それまで砂場で遊んでて」と言われ 公園で留守番する事にした。 その後俺は 公園でたっぷり遊んで そろそろ母親が来る気がしたから 山を壊して帰る準備をし始める。 ( ´ー`)フゥー... するとその感がぴったり当たり スグに母親が迎えに来たので 一緒に家に帰る事にすると 弟が何やら玩具を持ってる。 そのまま家に戻り 弟の玩具をよく見てみると 母親に買って貰った新しい玩具で うらやましくて俺も欲しくなった! 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【同じ物】 弟が買って貰った玩具は 「大鉄人ワンセブン」と言う 当時放送されてた特撮ロボットの 変形する超合金だった! なので俺も母親に 「俺も玩具欲しい!」と言うと 母親が「なら1000円あげるから これで買ってきて良いよ」と言う ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ この事に嬉しくなった俺は 早速団地の真下にある玩具屋に行き そこで1000円以内の玩具を ワクワクしながら吟味した。 しかし弟が買って貰った 大鉄人ワンセブンがうらやましくて もうあの超合金しか頭になく 結果同じものを買ってしまった。 そして早く遊びたいから 走って家に帰
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「チームとして動く」という前提が共有されていないとき、何が起きるのか

座標」の話から一歩進んで、今日は“チームとして動くこと”について考えていました。目的を定め、方向性を示す。論理だけで言えば、それは決して難しい作業ではありません。けれど、それが「共同作業」になった瞬間、難易度は一気に跳ね上がります。今回の数人での話し合いを通して、私は自分の未熟さと、そもそも「チームで動く」という概念が共有されていない現実に気づくことになりました。■ 1. 「正論」と「温度差」、そして“方針の違い”私は特別に熱量が高いわけではありません。ただ、自分の中である程度方向性が見えていると、自然と「次に何をすべきか」を考え始めます。一方で周囲は、目的をまだ咀嚼している段階そもそも意識がそこに向いていない段階あるいは、私とは“別の方針”が見えている段階という可能性もある。つまり、温度差だけでなく、“見えている地図そのものが違う”  ということが起きている。この状態でいくら言葉を尽くしても、噛み合わないのは当然でした。■ 2. 「主張」と「傾聴」のバランスという難問チームで動くとき、常に突きつけられるのが「どこまで自分の意見を出し、どこまで相手の意見を引き出すか」  というバランスです。具体例を出しすぎれば、相手の余白を奪い「押し付け」と捉えられる。意見を待ちすぎれば、場は沈黙し、停滞する。この“押し引き”の加減こそ、技術ではなく、人としての器や経験が問われる部分だと感じました。■ 3. そもそも「チームで動く」という概念が共有されていないここで、さらに深い気づきがありました。自分がチームを動かそうとしているのか、周りがそもそもチームとして動く意識を持っていないのか、その境
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