明日が当たり前に来ると思うから、色々な事を後回しにしておざなりにして、生きるんだと思う。
突然なんだかキレてますねえ、と思われそうなタイトルである。しかし私はキレていないので安心して欲しい。
私の周りで、私に良くしてくれる人たちは皆、「明日は生きているか分からない」という事をよく口にする。
毎回、その言葉が聞けた人に出会うと、その瞬間に信用してしまうぐらいに私も同じことを常々考えている。
この言葉をちゃんと言える人たちは、皆、日々を真剣に生きていると感じる。
決して口だけのカッコつけの言葉ではなく、心からそう思って生きているからこそ、日々を真剣に生きているんだと思う。
そうして、そういう人たちは、自分が大事な事、譲れない事、大事な人をちゃんと扱っていて、また、敬意を持って接している。
私には分からない、「明日もまた当然に来る」という感覚。
それは私があまり人間として生きる意味を持っていないのが理由なのかと思った過去もあったが、
実のところそういう事ではなくて、現世をどう生きるかを考え続けている人たちの共通の認識なんだと思うと、少し安心した。
明日どころか一秒先だって生きているか分からない。
この記事だって、完成するかどうかなんて分からない。
だからなるべくなら「明日でいいや」「後でいいや」は少ない方が良くて、
もちろん、日々は忙しく過ぎるもので、それらを完全に終わらせる事はできないけれども、それでもやはり、少ない方が良いと思っている。
だから、やりたいと思った事はなるべくやってみるし、伝えたい事は良くも悪くも伝えたいし、
そこに尻込みする気持ちがあっても、後悔するよりはやって後悔したいと、そういう事を常々考えながら日々を過ごしている。
そんな生き様を、生き急いでいる
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