明日が当たり前に来ると思うから、色々な事を後回しにしておざなりにして、生きるんだと思う。

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突然なんだかキレてますねえ、と思われそうなタイトルである。
しかし私はキレていないので安心して欲しい。


私の周りで、私に良くしてくれる人たちは皆、「明日は生きているか分からない」という事をよく口にする。
毎回、その言葉が聞けた人に出会うと、その瞬間に信用してしまうぐらいに私も同じことを常々考えている。

この言葉をちゃんと言える人たちは、皆、日々を真剣に生きていると感じる。
決して口だけのカッコつけの言葉ではなく、心からそう思って生きているからこそ、日々を真剣に生きているんだと思う。

そうして、そういう人たちは、自分が大事な事、譲れない事、大事な人をちゃんと扱っていて、また、敬意を持って接している。


私には分からない、「明日もまた当然に来る」という感覚。
それは私があまり人間として生きる意味を持っていないのが理由なのかと思った過去もあったが、
実のところそういう事ではなくて、現世をどう生きるかを考え続けている人たちの共通の認識なんだと思うと、少し安心した。

明日どころか一秒先だって生きているか分からない。
この記事だって、完成するかどうかなんて分からない。

だからなるべくなら「明日でいいや」「後でいいや」は少ない方が良くて、
もちろん、日々は忙しく過ぎるもので、それらを完全に終わらせる事はできないけれども、それでもやはり、少ない方が良いと思っている。
だから、やりたいと思った事はなるべくやってみるし、伝えたい事は良くも悪くも伝えたいし、
そこに尻込みする気持ちがあっても、後悔するよりはやって後悔したいと、そういう事を常々考えながら日々を過ごしている。

そんな生き様を、生き急いでいる、と言われる事が多々ある。
でも、決して生き急いでいるのではなく、後悔の少ない人生を都度選択している、それだけの事だ。

それでも、そんな考えがあっても、「後でいいや」となる事ももちろんある。
何もかもが、毎日悔いなく終えられているかというとそんな事はない、
「今日は何もしたくない」とソファーに転がって、アマプラを漁る日もある。
でも、そのアマプラを漁る時間だって、私の貴重な人生の時間の一つだ。

興味があるものを、娯楽だからと捨て置くのも、また違うと思っている。
食べる事が好きな人は、人生でなるべく沢山の美味しいものを食べたいと思うだろうし、
旅が好きな人は、人生でなるべく沢山の風景を見たいと思うだろうし、
それだって、後悔のない人生の選択の一つだと思う。
その瞬間に自分の人生が終わっても、それが自分が決めた事なんだったら、どのような選択も後悔なんてないだろう。


それでもやはり、「明日もまた当然に来る」という感覚は私には分からない。



「明日連絡すればいいや」
そう言っている間に、自分が、あの人が、いなくなってしまったらどうするんだろう、とか、
「明日伝えればいいや」
そう思っている間に、その言葉を伝えられないまま、自分が、あの人が、いなくなってしまったらどうするんだろう、とか、

今、それをする時間があるのにやらない選択をする事が、私にはどうにも分からない。


このご時世、便利な事に、ちょっと指先を動かせば、それを伝える事ができるようになった。
ちょっとした事だったら正味数秒で終わる事だったり、ちょっとボタンを押して電話をすれば出来る事を、
出来ない理由を探してやらない感覚が私には分からない。

もちろん、それが相手を怒らせてしまったとかそういう事だったら尻込みするのは分かる。
いや、謝罪だったらいち早くした方が良いとは思うけれども。
告白だったら尻込みするのも分かる。
相手の気持ちが分からない、関係性が築けていないのに突然告白するなんて、
そりゃあ相手がドン引きするかもしれないし、自分だってめちゃくちゃ傷つくかもしれない。

でも、そういった理由がないのに後回しにするのは、相手のことをおざなりにしている事にしかならないし、
何よりもそういう人ほど「眠いんです」「疲れてるんです」が口癖で、
結局自分の事しか考えていないから、相手の事を考えていないから、後回しにするんだと思っている。

そういう人ほど、明日に相手が居なくなったら悲劇のヒロインのように嘆き悲しむんだろう。
「あの時伝えれば良かった」って。

で、それを何度繰り返すんだろうね。

明日が当然に来るという感覚の中には、「明日も当然に相手は自分の手の届くところにいる」というなんとも傲慢な気持ちも含まれる。
その傲慢な気持ちを、いつまで持ち続けて「後でいいや」を繰り返すんだろうね。

自分にも相手にも、「当然の明日」なんてなにもないのに。




「いつかチャレンジすればいいや」
そう思っている間にそのチャンスはどこかに行ってしまうかもしれないのに、とか、
「いつか変わりたいな」
そう思っているなら、今すぐ変わる事を始めたら良いのに、とか、
いつかビッグになる、みたいな「いつか」をずっと言い続ける人たち。

「明日もまた当然に来る」だから、また「いつか」やればいい。
そう思いながら気がつけば何も出来なくなっているかもしれないのに。

日々を真剣に生きていれば、この「いつか」は一つ一つクリアしてくんだと思う。

金銭的・時間的・その他のっぴきならない事情でにどうしてもやれない事はあるにせよ、出来る範囲の事からクリアしていくんだと思う。
そうして、一つ一つ、後悔のない選択をして、そうしてまた次の選択をしていくんだと思う。

そうして、それが仕事だったり趣味だったりして、気がつけば花開いていた、そんな人になったりもするんだと思う。
人生の成功者は、今日明日の努力と選択で成功者になった訳では無いのだから。


なのに、「いつか」というばかりで何もしないワナビー族な人たちは、
そういう成功者を妬み。羨み、悪口を言い叩く時間だけは存分に使って、
そうして人生を浪費して日々を過ごすんだと思う。

「あいつは成功者だけど●●だから」「金を湯水のように使って」「成功者だからって調子に乗るな」
人が努力して掴んだ人生をそうやって批判する暇があるなら、Kindleで本でも読んだら良いと思う。
多分、その悪口大会の時間で、どれだけ読むのが遅くても三冊ぐらいは学べる本を読めたんではないだろうか。

そうして、ある日、「もっと早くにこうしておけば良かった」と嘆き悲しむんだろう。

で、それを何度繰り返すんだろうね。
日々を真剣に生きている人が使った一日を、他者批判に費やす一日とすることを選択したのは自分なのに。
そうしているうちに、「当然に来るはずだった明日」は、どこかに行ってしまうかもしれない。
どの瞬間に自分の人生が終わるかなんて、誰にも分からないのに。


出来ない理由を探す人より、出来る事を探して生きている人はやっぱりカッコイイよ。
それは年齢でも学歴でもない、その人の心の有り様が輝いているからカッコイイんだと思う。
その生き様が無様であろうとなんであろうと、カッコイイんだよ。


明日が当たり前に来ると思うから、色々な事を後回しにしておざなりにして、生きるんだと思う。
そうして、自分の手から零れ落ちた物を数えて嘆き悲しむ人生なんて、まっぴらだと思わないかい。


踏み出す事、変わる事は誰でも怖いと思う。
でも、その恐怖は誰かが取り払ってくれる事はなくて、自分で取り払うしかないんだ。
ベイビーステップでもいいじゃん。
出来ない理由を探す人より、出来る事を探して生きている人はやっぱりカッコイイよ。
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