ネガティブワードで自己洗脳してない?無駄にポジティブである必要はないけれども、無駄なネガティブは勿体ない。

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世間ではポジティブワードで幸せになる、なんて言われていたりするけど、実際のところそんな事はないと思っている。

ポジティブな言葉を使って、自分の心に嘘を付いて、無理に笑顔を作って、そんなの、見ているこちらが痛々しくてたまらない。

強い言葉も同じで、自分を奮い立たせるために自分に使うのは良いのだけれども、自分が弱っているからって外に強い言葉を発したところで、ただただヒステリックな部分が透けて見えるだけでこれまた痛々しくてたまらない。

「あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ」by藍染/BLEACH
まあ、この台詞の通りだと思う。
BLEACHで使われている意図とはちょっと違うんだけれども。


じゃあなんでこんなタイトルで記事を書くのかって言われたら、言いたいのはそういう事ではなくて、という話だ。


ポジティブワードで埋め尽くしてハッピーになろう、なんて最後まで言うつもりもないし、これから先も多分言うことはないと思う。
無理矢理のポジティブワードから透けて見える何かって、とても気持ち悪いと思ってるし。
それなら、「めちゃくちゃキツイっすわ」って言いながら馬鹿笑いしていた方が断然良いと思っている。


ちなみに私は、散々一人でネガティブに浸ってみようと思ってやってみると、とことん落ちた後に段々笑えてくるタイプなので、これはあまり参考にならないと思う。多分、見ている人がいたら、ついに気でも狂ったか、ぐらいにはドン引きされる自信がある。


ただ、ネガティブを是正するけれども、ネガティブワードの使い方一つで自分のテンションを自分で更に落とす事なんて簡単で、そうしてネガティブの螺旋階段を下っていくのは簡単で、だったら、その螺旋階段を下るのは良くないからやめようよ、という、そんな話だ。

みんな、毎日なにかでしんどい。

みんな、毎日なにかで疲れている。

みんな、毎日なにかで悩んでいる。

それぞれに事情がありそれぞれに生きているわけで、それに対して吐き出したい事なんて色々あると思う。

でも、毎日ため息をついて、暗い顔で疲れたとかしんどいとか、そういう事ばかり言う人や、口を開けば愚痴か悪口しか出てこない人や、そんな人とずっと一緒にいたいと思うだろうか。そういう人って、結局自分で人や物事とのご縁を逃しているだけなんではないだろうか。
それこそ、無駄なネガティブってこういう事なんじゃないだろうか。

いや、いいんですよ、愚痴は聞きますし、悩みは聞きます。

私だけじゃなくて、話を聞いて寄り添ってくれる人はこの世に沢山いるし、溜め込まず吐き出す事だってとても大事な事ことだ。

でも、それはその先に心の負担が軽くなる事や、少し考え方を変える事が出来て前を向いて欲しいから、そうなって欲しいからであって、もちろん心の回復に時間がかかったとしてもその期間なんて折り込み済だからどうでも良くて、でも、そういう相手の気持ちは一切受け取らず、一切の感謝も配慮もなく、ただただ繰り返し同じ事しか言わないネガティブワード製造機になるっていうのは、ちょっと違うと思う。


これから楽しくワイワイやりましょう、という時に、突然ネガティブ全開で登場して、ため息をつきながら「疲れてるんですけど来ました・・・」なんて言われたら、その場の空気は一瞬で凍りつくし、そのままネガティブな空気を感じつつ、なんとなくワイワイできない空間が作られて、そうするとネガティブは伝染して、「そんなに嫌だったら来なくていいのに・・・」なんていう気持ちを周りに持たせてしまう。

何時間も愚痴を聞いたのに、翌日になったらまた同じ愚痴を言われたら、しかもそこにアドバイスした事なんて1ミリも組み込まれていなかったら、「じゃあなんのために何時間も話を聞いたんだろう・・・」という気持ちを持たせてしまうし、そうすると、「はいはいまたですか・・・」というところに至り、そうして誰も真剣に話を聞いてくれなくなる。

そうやっていくうちに自ら孤立して、そうして更にネガティブの螺旋階段を下っていくことになる。
これが、ネガティブワードで自己洗脳している状態の一例である。


疲れている、とため息をつく癖がついているなら、ちょっと考えてみよう。
実はたいして疲れていなくても、その癖が出ていないだろうか。
自分をあえてネガティブな状態に持っていく癖がついていないだろうか。

あいつが、こいつが、と愚痴ばかり言う癖がついているなら、ちょっと考えてみよう。
実は対した事をされていないのに、その癖が出ていないだろうか。
別に言わなくても良いような理由を探して、自分をネガティブワード製造機にしていないだろうか。



言葉って、他人にも影響を与えるけれども、自分にも影響を与えるものだ。

自分で自分をネガティブに落とし込む言葉ばかりを使っていたら、心身ともに健康でいられるかっていうと難しいと思う。
自己洗脳で、自分の心身をどうかすることなんて、言葉で簡単にできてしまうのだから。

そうすると、ネガティブの螺旋階段を下り続けて、上を見上げて絶望するしかなくなるのだろうし、絶望すれば螺旋階段をまた上がる気力なんてなくなる。
その頃には、心身ともに健康ではいられないだろうし、そうするとネガティブな自己洗脳が見事に完成した状態になるんだと思う。



「いやあ、マジでキツイっすけど、やって見せますわー!」
「いや、本当に泣きたいんだけどさ、まあ愚痴だけ言わせてくれるかな。そうしたらまた頑張れると思う」
「吐き出したいからいいかな。でも、吐き出したいだけだからスルーで問題ない」
「ちょっと頭に来てさー笑!聞いてくれるかな笑」

ネガティブな言葉を言うにしても、言い方ひとつなんだと思う。
無駄にポジティブワードに転換して、全部の出来事に感謝なんてしなくていいと思う。感謝は、問題を乗り越えた後に成長できた自分に存分に与えたら良いと思うし、その時に寄り添ってくれた人に、後々感謝の気持ちを伝えたら良いと思う。

でも、ため息をついて乗り越える事を放棄する方向に自己洗脳をするのであれば、その先にあるなんだかんだ乗り越えたという充足感とか、感謝の気持ちはずっと生まれないと思う。だって、そういうものは螺旋階段を上がったところにあるもので、下ったところにはないから。

「この試練に感謝します」なんて言えとは思わない。

でも、日々のしんどい事をわざわざネガティブワードで自己洗脳して倍増させる必要もないと思っている。


「不幸な自分に酔っていた」だけのつもりが、「酔っていた」どころか「酔いが覚めても不幸だった」なんて事にならないためにも、ネガティブワードの使い方をちょっと意識して変えてみると、自分のネガティブ加減は随分と変わると思うよ。


無駄にポジティブである必要なんてない。

でも、無駄なネガティブはやっぱり勿体ないと思うんだ。
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