絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

2 件中 1 - 2 件表示
カバー画像

ヘミングウェイの「老人と海」は ハードボイルドの王道を行く小説です。

読み終えた後で見返すと ヘミングウェイの文章は1行たりとも無駄がないような気がします。 たとえば冒頭。 「このところ84日間、一匹も釣れていなかった」 この短い文章があるのとないのとでは クライマックスで老人が 巨大なカジキを執拗に追い求める行動への感情移入が まるで違ってきます。 ------- もう一つ重要な文章が8ページにあります。 「どこをどう見ても老人だが その眼だけは海の色と変わらない。 元気な負け知らずの目になっていた」 この文章があることで 延々と50ページに及ぶカジキとの格闘が 違和感なく読み進められるようになっています。 ----------- もう、王道のハードボイルドが セリフの随所に感じられます。 「老人はたっぷり時間をかけてコーヒーを飲んだ。 今日一日、これしか口にしないはずだから いま大事に飲んでおく」 漁に出掛ける前の、この描写からして 老人が、ただものではないことが伺えます。 ----------- ひとりで漁に出た老人は 上空を旋回している鳥に話しかける。 「ねらいをつけたか?」 「見てるだけじゃあるまい・・・」 孤独なんてものは無いんだとばかりに 人間以外のものに話しかけるのも ハードボイルドの王道ですねぇ(;^_^A ストイックです・・・。 ----------- カジキが網にかかってから すでに一昼夜。老人は疲れ果てている。 一羽の小鳥が飛んできてロープにとまる。 おぼつかない足取り。 老人は話しかける。 「なぁ、小せえの、休んでいけよ。 そこまで疲れてちゃしょうがねぇな」 きっと、自らに言っているんでしょうかねぇ。 ---------
0
カバー画像

情報量ってなんやろう。

小説よりも漫画、漫画よりもアニメ。右に行くにつれて情報量は多くなりますよね。文字だけの小説よりも、漫画の方がはるかに情報量が多い。そしてその漫画よりも、実際に動き、声や音が追加されたアニメは、さらに要素が多くなる。ゲームもそうですよね。ファミコン時代のマリオはドットで構成されており、本当に最低限の情報しかありません。しかしニンテンドースイッチのマリオは画面がなめらかで色彩豊か、演出も派手。まるで映像を見ているようです。ではこれら「最も情報量が多いもの」が最も優れているのかといえば、私はそうは思いません。情報量が増えるということは、それだけ本質が見えにくくなるということでもあるからです。たとえば小説であれば、その情景や登場人物の一挙手一投足が、一つひとつ言葉で表現されます。それゆえに作者さんの表現したいこと・伝えたいことが分かりやすい。これがアニメになると、派手なエフェクトや音楽がついたりして、より一層豪華に見えます。しかし情報が豊かになりすぎるあまり、この場面で言いたいことが何なのかが掴みにくくなってしまうのも事実です。ショートケーキを食べようとしたら、ブルーベリーが載っかっていたり、粉糖がまぶされていたり、ホイップクリームがふんだんに使われていたり……みたいな。ショートケーキという本質が分かりにくくなってしまいます。だから逆にいえば、アニメや漫画から情報を削ぎ落として「本当に言いたいこと」だけを残したものが、小説という見方ができます。デコレーションを全部とっぱらってシンプルなショートケーキにしました、みたいな。ではアニメや漫画がダメなのかというと、そうではなく。(どっちやねん
0
2 件中 1 - 2