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【自分軸】上杉家家訓・第4条「心に貪欲がないこと」。欲を捨てて見えてくる、FPが教える「真の義理(正解)」

こんばんは。FP2級・簿記2級のコウダイです。■ 第4条:心に貪欲がないこと原文:「心に欲なき時は、義理を行なう」個人的にこれが一番好きです。謙信公は、私利私欲を捨てた時に初めて、人として正しい道(義理)を貫けると言いました。これを現代の資産形成に置き換えると、驚くほど腑に落ちる真実が見えてきます。■ AIの視点:「欲」はマーケットの最大の養分である最新AI(Gemini)に、投資における「貪欲」のリスクを分析させました。リスク許容度の麻痺「もっと稼ぎたい」という強い欲(貪欲)は、冷静な判断力を奪い、自分のキャパシティを超えたリスクを取らせます。サンクコストの罠一度出した損失を取り戻そうとする欲が、さらなる損失を呼び込みます。「義理」=「一貫したルール」欲がない状態とは、感情を排除して、自分が決めた投資戦略(義理)を淡々と実行できる状態を指します。■ FPコウダイの視点:350万円を失ったのは「欲」が「義」を上回ったから耳が痛い話ですが、僕がFXやリボ払いで350万円を失った原因は、この第4条を守れなかったことに集約されます。当時の僕には「楽をして稼ぎたい」「手っ取り早く資産を増やしたい」という強烈な欲がありました。その欲のせいで、「身の丈に合った生活をする」「理解できないものには投資しない」という、FPや簿記を学んだ今なら当たり前にわかる「義(正しい理屈)」が見えなくなっていたんです。今の僕は、簿記で数字の現実を直視し、FPとして長期的な視点を持つことで、この「欲」をコントロールしています。「欲」を横に置いたとき、初めて「本当に自分に必要な投資」や「守るべき生活」という「義」
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桜と武士道

桜も満開に近づき、本当に暖かくなってきたな~と思っていたら一転、今日は花冷えですね。近所の大学病院裏手にある桜です。「久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」(古今和歌集/紀友則 850年~904年)現代語訳日差しのどかな春の日に静かな心で眺めていたいのにそんな気持ちをよそに桜の花はなぜこんなにも散り急ぐのか百人一首の中でも有名な歌ですね。国語だか古典の授業でも習ったような気がします。この季節になると毎年、天気予報やニュースで開花予想が報じられます。ひとつの花が咲くのを国中で待ち焦がれているのは、世界的にもあまり例がないそうです。「花は桜木、人は武士」という言葉がありますが、咲いてはすぐに散る桜は、現世に執着せず、義のために命を捧げる武士の生き方の象徴とされていたそうです。武士たるもの、桜のように気高く潔くあれといったところですかね。我が国の国花でもある桜は、のどかな春の日に咲いて、しかしあっという間に散ってしまう。。。桜は昔から、日本人にとっては生と死の象徴だったのかもしれませんね。そんなことを考えながら、「日本人に生まれてよかったなあ」と、しみじみ思うということは、太古からのDNAが、私にも受け継がれているということでしょうか。今日から4月、新年度のはじまりですね。4月の旧暦名は「卯月(うづき)」です。十二支の4番目「卯」にかけて4番目の月に由来しているとか。また、卯の花(ウツギ)」が咲く頃の「卯の花月」が短くなった説や、稲の種を植える月「植月」からくるという説などもあるようです。皆さんの新年度のスタートが、実り多いものになりますように。新年度、産土神社で感謝
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【新章・第1回】乱世を生き抜く「義」のポートフォリオ。上杉家家訓16箇条、開幕。

こんばんは。社会派FP・コウダイです。主婦年金、独身税……。目まぐるしく変わる制度、増え続ける負担。そんな現代という名の「乱世」を生きる僕たちにとって、今一番必要なのは「最新の節税テクニック」ではありません。どんな激流の中でも自分を見失わない、**「折れない心の芯」**です。■ なぜ今、上杉家なのか?最近、大河ドラマ『真田丸』を観ているのですが、そこで描かれる上杉景勝と直江兼続の姿に、僕はたまらなく惹かれます。損得勘定で動く戦国大名が多い中、彼らは常に「義」を重んじ、たとえ不器用でも自分たちの信条を曲げなかった。その精神的支柱となったのが、今回から全16回(+α)にわたって紐解いていく**『上杉家家訓16箇条』**です。■ 「義」とは、現代で言えば「自分軸」のこと「義」なんて言うと古臭く聞こえるかもしれません。でも、社会派FPとして今の世の中を見渡すと、国や会社の都合に振り回され、自分の人生の主導権を奪われている人があまりに多い。上杉家の教えは、単なる精神論ではありません。**「どうすれば、周りに流されず、自分の心地よさと誇りを守り抜けるか」**という、究極のセルフマネジメント術なんです。■ 営業代行・野球・自由。これらを繋ぐ「家訓」僕が在宅で営業代行を選び、ドジャース戦を観る時間を守り、朝寝坊を謳歌する。この自由を維持するためには、実は誰よりも自分を律する「自分なりのルール(家訓)」が必要です。第1条:心に迷いがないこと(心の純資産)第2条:礼儀を忘れないこと(対人コストの削減)…などなど。全16個の教えを、現代の働き方、そして僕たち個人の「資産形成」にアップデートして1つず
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武士が命を懸けて磨いた「平常心」の正体

※本稿では、禅の実践である「坐禅」を含め、 心を整える実践を総称して「瞑想」と表現します。 ■『とらわれの罠』誰もが幸せになりたいと願っています。では、そのために必要なものは何でしょうか。勉強、資格、努力、良い会社、お金――。もちろん、それらは人生を豊かにする大切な要素です。しかし理想を追い求めることで、「こうありたい」「〜しなければならない」「失敗してはならない」という思いが生まれてきます。逆説的ですが、実はこれ自体も「とらわれ(執着)」であり、心を曇らせるフィルターのようなものです。望む人生を実現するために必要なパフォーマンスの低下の原因になりかねません。一つの正解に固執することで、視野が狭くなり、状況の変化に柔軟に対応できなくなるその結果、本来の力を発揮できず、かえって望む人生から遠ざかってしまうのです。「こうありたい」「〜しなければならない」            ▼「もしそうなれなかったらどうしよう」(不安・プレッシャーの発生)            ▼不安を避けることばかりに意識が向く(とらわれ・視野狭窄)            ▼状況に合わせた柔軟な対応ができなくなる            ▼『本来の力』が発揮できない(パフォーマンスの低下)武術の世界では、一つのことに心を奪われる状態を「隙(すき)」と呼びます。例えば敵の刀だけを見ていると、足元の動きや周囲の状況が見えなくなり、結果として切られてしまいます。「執着によって視野が狭くなる状態」は、これとよく似ています。【注意】「とらわれ」による苦しみと、「病気による苦しみ」は必ずしも同じではありません。 メンタル系
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【新章・導入編②】なぜ、不器用な彼らに惹かれるのか。〜景勝と兼続、最強の主従関係〜

こんばんは。社会派FP・コウダイです。今日から始まる「上杉家家訓」シリーズ。その教えを読み解く前に、どうしても紹介しておきたい二人の男がいます。大河ドラマ『真田丸』でも鮮烈な印象を残した、**上杉景勝(かげかつ)と直江兼続(かねつぐ)**です。彼らを知ると、なぜ僕たちが今の乱世で「義」を語るべきなのか、その理由が見えてきます。■ 「沈黙のカリスマ」上杉景勝上杉謙信の養子であり、上杉家の当主。彼はとにかく喋りません。笑いません。常に眉間にシワを寄せ、重圧に耐えているような男です。FPの視点で彼を見ると、「家名(ブランド)という巨大な固定資産」を必死に守り抜いた経営者です。織田、豊臣、徳川……次々と現れる巨大資本(強大勢力)に飲み込まれそうになりながらも、彼は決して「魂」まで売り渡すことはしませんでした。■ 「実務と理想の天才」直江兼続その景勝を支え、実質的な経営を担ったのが執政・直江兼続です。兜に「愛」の文字を掲げたことで有名ですが、彼はただの理想主義者ではありません。内政、外交、軍事……すべてをこなす超一流の実務家。現代で言えば、**「ビジョン(義)を具体的なキャッシュフロー(戦略)に落とし込める最高執行責任者(COO)」**といったところでしょうか。■ 彼らが僕たちに教えてくれることこの二人の関係は、単なる「上司と部下」ではありません。「義」という共通の価値観で結ばれた、運命共同体です。景勝の「不器用なまでの誠実さ」兼続の「義を貫くための冷徹なまでの知恵」僕たち個人事業主や、自由を求めるワーカーにとって、このバランスこそが理想です。自分の「誇り」は景勝のように一歩も引かず、そ
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動画「武士道と聖書の共通点~李登輝さんと新渡戸稲造さんに学ぶ」

前の五千円札の人だけではありません。新渡戸稲造さんって武士道を世界に広め、そのおかげで日露戦争の講和が成立しました。どういうことでしょうか?台湾が新型コロナの封じ込めに成功したのは李登輝元総統が「新・台湾人」たちに「日本精神」を教え込んだからでした。その支柱とは新渡戸稲造さんの「武士道」でした。二人の敬虔なクリスチャンが語る「武士道」から、戦後教育世代が学べなかったものを学べます。日本人に馴染みの薄い「聖書」を武士道を通して学びませんか?
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【自分軸】上杉家家訓に学ぶ、令和を生き抜く智慧。 第1条:心に迷いがないこと(原文:心に物なき時は、心常に広し)

こんばんは。FP2級・簿記2級のコウダイです。外資系生保の不祥事、止まらない実質増税……。僕たちが生きるこの令和という時代は、まさに「情報の乱世」です。放っておけば、不安と迷いに飲み込まれてしまいます。そんな今だからこそ、僕が人生の指針としている**「上杉家家訓(十六箇条)」**を、AI(Gemini)と共に現代版にアップデートして読み解いていきたいと思います。■ 第1条:心に迷いがないこと「上杉家家訓の第1条は、本来『心に物なき時は、心常に広し』と言います。余計な執着を捨てれば、心に余裕が生まれ、結果として『迷い』が消える。今の情報過多な時代、まさにこの『ゆとり』こそが必要なんです」この言葉を初めて聞いた時、あなたはどう感じますか?「迷わないなんて無理だ」「強い人しかできない」と思うかもしれません。でも、最新AIに「現代社会で『心に迷いがない状態』を論理的に作るには?」と聞いたところ、非常に興味深い答えが返ってきました。■ AIの回答:迷いの正体は「情報の非対称性」であるAIは、迷いを精神論ではなく、構造的な問題として分析しました。知識不足が不安を生むなぜ保険選びや投資で迷うのか。それは相手と自分の間に圧倒的な「知識の差」があるからです。自分の価値観(優先順位)が未定義「他人の正解」を自分の正解にしようとすると、必ず迷いが生じます。「迷いがない」=「決断の基準を持っている」迷わないとは、全く悩まないことではなく、「これに外れるものは選ばない」という明確なフィルターを持っている状態を指します。■ FPコウダイの視点:迷いを消すのは「数字」と「哲学」AIの分析は正しい。でも、そこ
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愛の告白と自己開示〜武士道といふは死ぬことと見つけたり〜

今年になってから、一つ一つ「告白」していくことが大切だなぁということを感じています。 「告白」とは恋愛において、好きな人に好きだと伝えることを意味することもあります。 その「告白」って結構勇気がいるし、振られたらすごく傷つくし、傷つきたくないという理由からアプローチするというプロセスまでも全然いかずに、想いを寄せたまま長い間内に秘めたままということもあります。 内に秘めているものがとても純粋であればあるほど、上手くいかなかったときには「傷ついた」と感じるのだと思います。 でも、「告白」しないことには次のステージには当然行くことができません。 そこには傷つくことも覚悟の上で進んでいく勇敢な姿勢が必要なのだと思います。   私は、今年になってから、自分の純粋な気持ちに従った結果傷つくのなら、その傷ついたという味をしかっり受け止めてみようという強さが自分の中に出てきました。 (「武士道といふは死ぬことと見つけたり」的な精神に似ているかも!?笑) 自分を生きる、純粋な想いを「告白」するとは、意識の中に閉じこもって内向的になるのではなく、世界への扉を開いて自分を表現していくことです。 傷つけられたくはないけれど、自分で選んだ選択によって結果傷つくことは傷つけられたとは違うと感じるからです。 傷つくときも、傷ついているんだという自分をどこか俯瞰して、あぁ自分ってすごく弱いんだな・・・って受け止めています。   なんだか立ち止まっているなって感じるとき、そこには何らかの「告白」ができていないことが要因であることが多く、「告白」することの大切さを日々感じます。 自分とはどういう人間であるかを「
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人生を切り開く秘訣~始めと終わりの大切さ~

こんにちは、エンパワLabo 氣功師の有岐です。 この冬は、ガソリン代や電気代の高騰を感じますよね。 生きる事に必要な費用が膨らんでくると、お財布の紐もかたくなりがち。 いらないものは始末しないと・・・ そんな思いもあるかと思います。 今の私たちが使っている「始末」、もともとは全く違う考えから生まれています。 日本語に隠された、大切な智慧💖 今日も最後は「いかに生きていけばいいのか?」につながるお話です。 子供がいる方、部下がいる方には、こんな事をさりげなく話に中に盛り込むことで、より深い意味を伝えられる材料にもなると思います。 最後は私の心のメッセージです。 ゆっくり楽しみながら読んで下さいね。 ◆「始末(しまつ)」もともとは「始め」と「終わり」の両方を含む概念だった 始末、この漢字をよく見ると「始=はじめ」と「末=すえ」が合わさった言葉です。 物事の始まりと終わりをきちんとつけることを意味していました。 ▶現代の「始末」の意味の変化 時代が進むにつれて、次のような意味が加わりました。 現代の私たちは、以下を始末が持つ言葉の意味だと思っていますよね。 処理すること(例:「後始末をする」) 節約・倹約すること(例:「始末して暮らす」) しかしながら言葉の成り立ちは、日本が古くから持っていた考え方、つまり 「物事の一連の流れを管理し、きちんと完結させること」 を指していました。                ⬆️⬆️⬆️ 💖自分の人生に対する考え方も同じ。日本人が大切にしてきた根底にある精神です💖 ◆「始めと終わり」の大切さ日本の文化では、「始め」と「終わり」を大切にする考えが根
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教養としての日本儒教⑦:武士思想

山本常朝:鍋島藩士。『葉隠(はがくれ)』。主君に対する絶対的忠誠とそれに根差した死の覚悟を説き、民に対する為政者としての自覚を求める士道(山鹿素行)とは異質の武士道を示しました。『葉隠』は戦前には軍人必読の書とされました。 「武士道というは、死ぬことと見つけたり」(『葉隠』冒頭文)。 士道:太平の世における新たな武士のあり方。山鹿素行は、武芸や主君への献身を重視する従来の武士道とは異なり、武士は政治担当者という自覚を持って高貴な人格を保ち、農工商の三民の師となって道を教え、天下に人倫の道を実現しなければならないとしました。 『武士道』:新渡戸稲造(にとべいなぞう)が日本人の精神的伝統として武士道を国際社会に紹介した英文著作。岡倉天心の『茶の本』、鈴木大拙の『日本的霊性』などの英文著作と共に、世界に日本を紹介する先駆的役割を果たしました。新渡戸は武士道をヨーロッパの騎士道やピューリタンの精神に匹敵する道徳原理としてとらえ、この武士道によってこそキリスト教の日本化が完成すると考えました。 広瀬淡窓:幕末最大の漢学塾咸宜園(かんぎえん)を天領のある豊後国日田に開き、その門人は高野長英や大村益次郎など約4800人に及びます。咸宜園には「三奪の法」があり、身分・出身・年齢などにとらわれず、全ての塾生が平等に学ぶことができ、幕末の志士達もここを訪ねて意見を戦わせていたようです。
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