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桜と武士道

桜も満開に近づき、本当に暖かくなってきたな~と思っていたら一転、今日は花冷えですね。近所の大学病院裏手にある桜です。「久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」(古今和歌集/紀友則 850年~904年)現代語訳日差しのどかな春の日に静かな心で眺めていたいのにそんな気持ちをよそに桜の花はなぜこんなにも散り急ぐのか百人一首の中でも有名な歌ですね。国語だか古典の授業でも習ったような気がします。この季節になると毎年、天気予報やニュースで開花予想が報じられます。ひとつの花が咲くのを国中で待ち焦がれているのは、世界的にもあまり例がないそうです。「花は桜木、人は武士」という言葉がありますが、咲いてはすぐに散る桜は、現世に執着せず、義のために命を捧げる武士の生き方の象徴とされていたそうです。武士たるもの、桜のように気高く潔くあれといったところですかね。我が国の国花でもある桜は、のどかな春の日に咲いて、しかしあっという間に散ってしまう。。。桜は昔から、日本人にとっては生と死の象徴だったのかもしれませんね。そんなことを考えながら、「日本人に生まれてよかったなあ」と、しみじみ思うということは、太古からのDNAが、私にも受け継がれているということでしょうか。今日から4月、新年度のはじまりですね。4月の旧暦名は「卯月(うづき)」です。十二支の4番目「卯」にかけて4番目の月に由来しているとか。また、卯の花(ウツギ)」が咲く頃の「卯の花月」が短くなった説や、稲の種を植える月「植月」からくるという説などもあるようです。皆さんの新年度のスタートが、実り多いものになりますように。新年度、産土神社で感謝
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動画「武士道と聖書の共通点~李登輝さんと新渡戸稲造さんに学ぶ」

前の五千円札の人だけではありません。新渡戸稲造さんって武士道を世界に広め、そのおかげで日露戦争の講和が成立しました。どういうことでしょうか?台湾が新型コロナの封じ込めに成功したのは李登輝元総統が「新・台湾人」たちに「日本精神」を教え込んだからでした。その支柱とは新渡戸稲造さんの「武士道」でした。二人の敬虔なクリスチャンが語る「武士道」から、戦後教育世代が学べなかったものを学べます。日本人に馴染みの薄い「聖書」を武士道を通して学びませんか?
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愛の告白と自己開示〜武士道といふは死ぬことと見つけたり〜

今年になってから、一つ一つ「告白」していくことが大切だなぁということを感じています。 「告白」とは恋愛において、好きな人に好きだと伝えることを意味することもあります。 その「告白」って結構勇気がいるし、振られたらすごく傷つくし、傷つきたくないという理由からアプローチするというプロセスまでも全然いかずに、想いを寄せたまま長い間内に秘めたままということもあります。 内に秘めているものがとても純粋であればあるほど、上手くいかなかったときには「傷ついた」と感じるのだと思います。 でも、「告白」しないことには次のステージには当然行くことができません。 そこには傷つくことも覚悟の上で進んでいく勇敢な姿勢が必要なのだと思います。   私は、今年になってから、自分の純粋な気持ちに従った結果傷つくのなら、その傷ついたという味をしかっり受け止めてみようという強さが自分の中に出てきました。 (「武士道といふは死ぬことと見つけたり」的な精神に似ているかも!?笑) 自分を生きる、純粋な想いを「告白」するとは、意識の中に閉じこもって内向的になるのではなく、世界への扉を開いて自分を表現していくことです。 傷つけられたくはないけれど、自分で選んだ選択によって結果傷つくことは傷つけられたとは違うと感じるからです。 傷つくときも、傷ついているんだという自分をどこか俯瞰して、あぁ自分ってすごく弱いんだな・・・って受け止めています。   なんだか立ち止まっているなって感じるとき、そこには何らかの「告白」ができていないことが要因であることが多く、「告白」することの大切さを日々感じます。 自分とはどういう人間であるかを「
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人生を切り開く秘訣~始めと終わりの大切さ~

こんにちは、エンパワLabo 氣功師の有岐です。 この冬は、ガソリン代や電気代の高騰を感じますよね。 生きる事に必要な費用が膨らんでくると、お財布の紐もかたくなりがち。 いらないものは始末しないと・・・ そんな思いもあるかと思います。 今の私たちが使っている「始末」、もともとは全く違う考えから生まれています。 日本語に隠された、大切な智慧💖 今日も最後は「いかに生きていけばいいのか?」につながるお話です。 子供がいる方、部下がいる方には、こんな事をさりげなく話に中に盛り込むことで、より深い意味を伝えられる材料にもなると思います。 最後は私の心のメッセージです。 ゆっくり楽しみながら読んで下さいね。 ◆「始末(しまつ)」もともとは「始め」と「終わり」の両方を含む概念だった 始末、この漢字をよく見ると「始=はじめ」と「末=すえ」が合わさった言葉です。 物事の始まりと終わりをきちんとつけることを意味していました。 ▶現代の「始末」の意味の変化 時代が進むにつれて、次のような意味が加わりました。 現代の私たちは、以下を始末が持つ言葉の意味だと思っていますよね。 処理すること(例:「後始末をする」) 節約・倹約すること(例:「始末して暮らす」) しかしながら言葉の成り立ちは、日本が古くから持っていた考え方、つまり 「物事の一連の流れを管理し、きちんと完結させること」 を指していました。                ⬆️⬆️⬆️ 💖自分の人生に対する考え方も同じ。日本人が大切にしてきた根底にある精神です💖 ◆「始めと終わり」の大切さ日本の文化では、「始め」と「終わり」を大切にする考えが根
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教養としての日本儒教⑦:武士思想

山本常朝:鍋島藩士。『葉隠(はがくれ)』。主君に対する絶対的忠誠とそれに根差した死の覚悟を説き、民に対する為政者としての自覚を求める士道(山鹿素行)とは異質の武士道を示しました。『葉隠』は戦前には軍人必読の書とされました。 「武士道というは、死ぬことと見つけたり」(『葉隠』冒頭文)。 士道:太平の世における新たな武士のあり方。山鹿素行は、武芸や主君への献身を重視する従来の武士道とは異なり、武士は政治担当者という自覚を持って高貴な人格を保ち、農工商の三民の師となって道を教え、天下に人倫の道を実現しなければならないとしました。 『武士道』:新渡戸稲造(にとべいなぞう)が日本人の精神的伝統として武士道を国際社会に紹介した英文著作。岡倉天心の『茶の本』、鈴木大拙の『日本的霊性』などの英文著作と共に、世界に日本を紹介する先駆的役割を果たしました。新渡戸は武士道をヨーロッパの騎士道やピューリタンの精神に匹敵する道徳原理としてとらえ、この武士道によってこそキリスト教の日本化が完成すると考えました。 広瀬淡窓:幕末最大の漢学塾咸宜園(かんぎえん)を天領のある豊後国日田に開き、その門人は高野長英や大村益次郎など約4800人に及びます。咸宜園には「三奪の法」があり、身分・出身・年齢などにとらわれず、全ての塾生が平等に学ぶことができ、幕末の志士達もここを訪ねて意見を戦わせていたようです。
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