近距離の罪悪感
こんにちは。夜はめっきり寒くなりましたね。昨日の夜寝る時に、中学生の息子が横で(まだ母と同じ部屋で寝るかわいいヤツ♡)「暑い時のクーラーと、寒い時の布団のあったかいのが好き~!」と言いました。「不快があっての快適かぁ。不快が必要って事?」と聞くと「うん、そうなるね。」と息子。「じゃあ悪い人がいないと正義のヒーローいらなくなっちゃうじゃん」と言ったら「正義のヒーローなんていないんだよ」と…え、えぇ?どういう意味?と聞こうと息子を見たら、もう寝息を立てていました。えー。深い意味で言ってるのかしら。私が普段、心理学やら哲学を息子に話すから、やけに悟ってしまったのか…部活から帰ってきたら、真意を聞こうと思います。さて今日は、近距離の罪悪感。というお話です。コロナ感染者が減ってきました。このまま収束する事を願いますが…もうひと波乱あるのでしょうか。マスク、ソーシャルディスタンス、今では当たり前になりつつあります。この間TVで、過去の音楽ライブの映像が流れていて、客席の人がウワーっと揉みくちゃになって盛り上がっていました。私はそれを見て違和感を感じてしまいました。正直。。人が密だ、やばい…と。もちろんその映像はコロナ以前のもので、当たり前にあったライブの風景なのですが。それに私は好きなバンドのライブによく行っていて、自分も揉みくちゃの中にいました。それなのに。自分の感覚がいつの間にか変わっていた事にブルっときました。約2年の間にゆっくりと浸透した人と人との距離。もちろんそれは自分や周りの人を守る為のやむを得ない距離です。しかし、慣れとは怖いものです。コロナが収束した後に、もう人とくっついて
0