主体性を失った日本の末路
欧米では、古くから「労働は本来、できれば減らしたいもの」という考え方があります。
彼らにとって仕事は生活費を得るための“契約”であり、
人生の中心はあくまで個人の時間なのです。
こうした背景には、「キリスト教的世界観」が影響しています。
禁断の木の実を食べたアダムに対し、神が課したのが「額に汗して働く」ことだからです。(旧約聖書)一方、日本では、古くから「働くことそのものに道徳的価値がある」という考え方が育まれてきました。
◎目の前の仕事に丁寧に向き合い、精魂を込めて取り組む。
◎その積み重ねによって、自分を磨き、人格を高めていく。日本文化には日常の立ち居振る舞いそのものを「修行」と捉える感覚があり、仕事は単なる収入を得る手段ではなく、「人間形成の場」でもあったのです。武士道とつながりが深い「禅」の世界では、掃除、料理、農作業でさえ、“悟りへ向かう実践”とされます。
つまり働くとは、
◎自分を磨く
◎誰かの役に立つ
◎社会とつながる
◎生きる意味を深める
ための営みなのです。
実際、日本神話である「古事記」にも、神々が働く姿が描かれています。
そうした文化的背景もあり、日本は長く、
◎会社への忠誠
◎集団への献身
◎忍耐
◎一体感
によって経済成長してきました。
もちろん、こうした日本的労働観には批判もあります。長時間労働や過剰な自己犠牲につながる危険性もあるからです。
しかし、ここで考えたいのは、
どちらの価値観の方が「仕事に対する“やらされ感”が生まれやすいか」です。
なぜなら、人は“やらされ感”が強くなるほど、
次のような悪影響が出てくるからです。
◎メンタル
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