相手を見て話を聞く、ということ 「できない」自分を責めるより、「気づけた」自分を認めたい。
「あ、またやってしまった。」リハビリの合間や、カルテ記録に集中しているとき。後輩や同僚から声をかけられても、つい画面を見たまま、手を動かしたまま「うん、聞いてるよ」と返してしまうことがあります。意識しているつもりでも、忙しさに飲まれると、相手に体を向けるという基本的な動作が後回しになってしまう。そのことに後から気づくたび、胸の奥に小さな反省が残ります。「できていない」という気づきの価値理学療法士として働く中で、私は患者さんの“気づき”が持つ力を日々感じています。自分の身体の使い方や無意識の力みに気づいた瞬間、動きの質は大きく変わり始めます。これは、私自身のコミュニケーションにも同じことが言えるのだと思います。「相手を見て話を聞く」という、当たり前だけれど難しい習慣。できている日もあれば、できていなかったと気づく日もある。以前の私は、できなかった自分を責めていました。でも今は、「気づけた」という事実そのものが前進だと考えるようになりました。習慣化というOSのアップデート新しいソフトを入れたばかりのPCが不安定になるように、自分の中に新しい習慣(思考OS)を馴染ませるには時間がかかります。「相手を見て話を聞く」という動作は、単純なスキルではありません。自分の内側に“余白”がなければ成立しないものです。余裕がないと、私の思考OSは無意識に「効率」を優先し、相手を見るという動作をカットして、マルチタスクで処理しようとしてしまう。大切なのは、そこで自分を責めて固まることではなく、「今は余裕がなかったんだな」と静かに観察すること。理学療法士が患者さんの代償動作を分析するように、自分の“聞け
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