数歩後ろを歩く親子を見て気づいた、私の中に引かれた「危険のライン」

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コラム
■ 1. 「視界に入っていない」ことへの敏感さ
幼稚園児なら一人で歩けますし、自立を促す距離感としては自然なのかもしれません。
ただ私は、どうしても 「視界に入っていない状態」 に不安を覚えるタイプです。

視覚で状況を把握できないということは、
何かあったときに即座に反応できない“空白”が生まれるということ。

物理的な距離がわずかでも、視界から消えた瞬間に、
私の中の安心スイッチはすっとオフになってしまう。

これは理屈ではなく、身体の奥に染みついた感覚に近いものでした。

■ 2. 「危険のライン」の解像度は、人によって違う
「もう歩けるから大丈夫」という判断と、
「安全が担保されている」という判断。

この二つの境界線は、私の中では少し離れています。

子どもの能力を信じていないわけではありません。
ただ、飛び出し、死角、周囲のスピード感…。
環境を含めてリスクを想定すると、
私の“危険のライン”は、どうしても慎重な側に寄っていく。

あの親子の距離感を否定するつもりはありません。
むしろ、
「彼らと私では、見えている危険のラインが根本から違う」  
と理解した瞬間でもありました。

■ 3. 保守的であるということを、性質として受け入れる
こうした反応を、私は「自分は保守的だな」と捉えています。

それは弱点ではなく、
“何を大切にし、どの程度の不確実性を許容できるか”という性質の違いです。

1%のリスクも避けたい。
常に視界に入れておきたい。
その慎重さは、時に自分を疲れさせるかもしれない。

けれど同時に、
その保守性こそが、自分にとって大切なものを守るための基準になっている。

そう思うと、少しだけ心が軽くなりました。

■ 結び:自分なりの距離感で歩く
親子の後ろ姿を見送りながら、私は自分の中にある「境界線」をそっと再確認していました。

人にはそれぞれの歩き方があり、安心できる距離感があります。
私は私の、この少し保守的な“危険のライン”を認めたうえで、
自分が納得できる形で大切なものと向き合っていきたい。

何気ない日常の一コマが、
自分の内側にある「守り」の価値観を静かに教えてくれた出来事でした。
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