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“三百の約束”ってのは

試合当日の朝。空はどんよりとした灰色。グラウンドに打ちつける雨の音が、誰の心にも不安を落としていった。「中止にならないのかな……」美緒がつぶやく。神谷先生は首を横に振った。「やる。こんな日だからこそ、やるんだ」柚は息を吸った。胸の奥が冷たい。それでも、手にしたスパイクの紐をしっかりと結んだ。ウォーミングアップの時間。ピッチに立つと、泥が跳ねた。スパイクの裏が重くなる。滑る。何度も転ぶ。(こんなコンディションじゃ……)そんな声が脳裏をかすめた瞬間、神谷先生の言葉が浮かんだ。「立つことをやめなければ、“負け”は来ない」柚は深呼吸をして、雨の匂いを肺に入れた。(そうだ。できることをやろう。)試合開始の笛が鳴る。ピッチの上では、泥が跳ね、声が飛び交う。相手は全国常連の強豪校。ボールを持っても、すぐに囲まれ、弾かれる。前半の終盤。相手に一点を取られた。「……っ」陽菜の肩が震えた。自分のマークを外したせいだった。「ごめん!」叫ぶ声を、雨が飲み込む。柚が近づいて、短く言った。「いい。次、取り返そう」目は真っすぐだった。責めるでも慰めるでもない。ただ、信じている目だった。陽菜は唇を噛んだ。(なんで、そんなふうに言えるの……)胸の奥が熱くなった。ハーフタイム。全員が息を荒げながらベンチに戻る。神谷先生が濡れたメモ帳を開いて言った。「ここまでの“できたこと”を、思い出せ」誰もすぐには声を出せなかった。先生は微笑んで言った。「挨拶をした。掃除をした。 水を押し出した。 “ありがとう”を言えた。 それら全部が、今の一歩を作ってる。 泥に負けるな。自分に負けるな」柚は、胸の奥が熱くなった。陽菜が小さく頷
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多分、“ちゃんと生きる”ってことだよ

三月の終わり。校舎の裏の桜が、ようやく咲き始めていた。風はまだ少し冷たいけれど、その中に確かに春の匂いが混ざっている。放課後のグラウンド。あの日の雨が嘘のように、土は乾き、白線が新しく引かれていた。柚は一人、ベンチに座っていた。膝の上に、使い込まれたノート。表紙は泥の跡で汚れ、端は雨に溶けたように波打っている。ページをめくると、小さな文字がびっしり並んでいた。“ありがとうが言えた”“笑ってパスを出せた”“転んでも立てた”“もう一度蹴れた”文字のひとつひとつが、泥と汗と涙の跡のように光って見えた。陽菜がやってきた。髪をひとつに結び、ユニフォームの袖をまくっている。「キャプテン、先生、待ってるよ」「うん」柚はノートを閉じて、ゆっくり立ち上がった。二人で歩きながら、ピッチの中央まで進む。神谷先生がゴールポストの前に立っていた。周りには後輩たちの姿もある。次の世代の新しい顔。「今年のキャプテンを紹介する」先生の声に、少しだけざわめきが起こる。「柚と陽菜の背中を見てきた、 新チームの要だ」拍手の音が風に混ざる。その音を聞きながら、柚は静かに空を見上げた。雲が流れていく。光が、ピッチの上に降り注ぐ。部室に戻る途中、陽菜が言った。「ねぇ、キャプテン」「ん?」「“三百の約束”って、結局なんだったんだろ?」柚は少し笑って、ノートの表紙を指でなぞった。「多分、“ちゃんと生きる”ってことだよ」「ちゃんと、生きる……」「うん。勝つとか、負けるとかじゃなくてさ。 誰かのせいにしないで、自分で立つってこと」陽菜は黙って頷いた。その横顔を見ながら、柚はふと思った。(このチームは、もう大丈夫だ)帰り際、風が吹
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