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たぶん一生たどりつかないガイド

少し前のブログで『夢で逢えたら』の話題に触れたときに、「そういえば土曜の夜って、ねるとん紅鯨団→夢で逢えたら、っていう流れでテレビ観てたなぁ」なんてことを思い出しました。あの時間帯がまるごと楽しくて、思い出すと、いつも一緒に流れてくる曲があるんです。 高野寛「虹の都へ」MIZUNOのCMソングとして流れていたあの曲です。1990年リリースで、またもや「にゃもし→にゃも死」案件なんですが 笑、今聴いても、信じられないくらいきらめいている曲です。サビはどキャッチーだし、すごくポップなメロディなんですが、歌詞がね、ポップな曲とは少しかけ離れているというか。華やかで享楽的な雰囲気の曲が多かったバブル期にリリースされた曲の中では、めずらしく、内観的な視点が多いなーと。でも私はこの曲の世界観がすごく好きでして。 だけど 僕たちは知っている 君を変えるのは君だけさ自分の中に宇宙があることに気がつけば きっと昨日よりもっと 今日のほうがいいそして世界は廻ってるこのフレーズが何十年経っても心に残っているんです。この曲の歌詞は、私の考え方に大きな影響を与えてくれたなぁ、と思うことがよくあります。この曲の素晴らしいところのひとつに「英語の歌詞がひとつもない」というところがあると思います。英語どころかカタカナもないんです。徹底した日本語詞へのこだわりと、直接的な表現を避けているところが、ティーンエイジャーだったにゃもしのハートを鷲掴みにしました。これね、笑い事じゃ済まされないくらい、本当に影響を受けているんですよ。■ストレートに伝えるのではなく、情景や感情が自然に浮かぶような言葉を選ぶこと。■「自然」
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【Sound Buffet_000】イントロ

音楽の話をしようと思う。なんかよくわかんないけど、大好き音楽をちゃんと聴くようになる、ずーっと前。私の耳には、もうすでにキラキラした音が染みついていた。物心つく前からテレビに夢中で、バラエティ番組や歌番組は家族みんなで観るのが当たり前だった。それとは別に、周りの子よりほんの少しだけ、生の歌に触れる機会が多かったのも大きいと思う。父が仕事の付き合いでよくディナーショーのチケットを手に入れていて、私はそのお供でよく連れていかれていた。会場には、着飾った大人たち。料理の味なんてわかるはずもなかったけど、ただ目の前で響く生の歌声と生演奏の音の圧に胸が高鳴った。「音楽ってなんかすごい」「テレビの中の人がすぐそこにいる」──その体験は、今でも宝物だ。小学生になる頃には、すっかり歌番組ウォッチャーになっていた。80年代アイドル全盛期、昭和歌謡のラストスパート。父親が所有していたソニーのベータマックスで、自分専用のビデオテープを2本もらい、好きな番組を片っ端から録画した。何度も再生してはお気に入りを見つけ、当時まだ漢字表記だった『明星』の歌本で歌詞を丸暗記。あの頃が、私の「耳のクセ」を決定づけた時間だったと思う。中学・高校時代になると、時代はバンドブームの真っ只中。私にとってバンドは、音楽というよりまさにアイドルだった。ライブにもたくさん行ったし、雑誌の切り抜きも集めた。地方に住んでいたから、お目当てのバンドが地元でライブをするなんていう日は、学校をサボって駅で新幹線の到着を待ち構え、ライブ後には出待ちして駅でお見送り……そんな、地方民ならではの「追っかけ」もよくやっていた。高校時代の後半には
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