少し前のブログで『夢で逢えたら』の話題に触れたときに、「そういえば土曜の夜って、ねるとん紅鯨団→夢で逢えたら、っていう流れでテレビ観てたなぁ」なんてことを思い出しました。
あの時間帯がまるごと楽しくて、思い出すと、いつも一緒に流れてくる曲があるんです。
高野寛「虹の都へ」
MIZUNOのCMソングとして流れていたあの曲です。1990年リリースで、またもや「にゃもし→にゃも死」案件なんですが 笑、今聴いても、信じられないくらいきらめいている曲です。
サビはどキャッチーだし、すごくポップなメロディなんですが、歌詞がね、ポップな曲とは少しかけ離れているというか。
華やかで享楽的な雰囲気の曲が多かったバブル期にリリースされた曲の中では、めずらしく、内観的な視点が多いなーと。
でも私はこの曲の世界観がすごく好きでして。
だけど 僕たちは知っている
君を変えるのは君だけさ
自分の中に宇宙があることに
気がつけば きっと
昨日よりもっと 今日のほうがいい
そして世界は廻ってる
このフレーズが何十年経っても心に残っているんです。この曲の歌詞は、私の考え方に大きな影響を与えてくれたなぁ、と思うことがよくあります。
この曲の素晴らしいところのひとつに「英語の歌詞がひとつもない」というところがあると思います。英語どころかカタカナもないんです。徹底した日本語詞へのこだわりと、直接的な表現を避けているところが、ティーンエイジャーだったにゃもしのハートを鷲掴みにしました。
これね、笑い事じゃ済まされないくらい、本当に影響を受けているんですよ。
■ストレートに伝えるのではなく、情景や感情が自然に浮かぶような言葉を選ぶこと。
■「自然」とか「宇宙」とか「時間」のようなスケールの大きなテーマを、日々の出来事や日常の断片にそっと重ねてみること。
■読む人の “耳” にどう響くか、どの言葉をどんな “声色” で届けるかを思い描きながら、言葉を並べていくこと。
これらは実践できている・いないに関わらず、私が表現をする上で、ものすごく影響を受けている要素です。
でも、直接的な言葉や表現を避けるって、なかなか難しくて。
うまく伝わらなかったり、意図しない意味にとられちゃったり、文字どおりにしか受け取ってもらえなかったり。私自身、いまだに戸惑うことも多いです。
それでも私は「ちょっと揺らいでる」とか「はっきり断言しない」みたいな言葉のあり方に、ずっと惹かれてきました。
読む人・見る人の感じ方に委ねられる “余白” のある表現に、なんとも言えない魅力を感じるんです。
ただ、これはあくまでも “表現の世界” での話。
日常会話でこれをやると、びっくりするくらい、ほんっとに伝わらないです。だいぶ面倒くさい人になるので要注意。若い頃に影響を受けまくって、実践していたにゃもしが言うから間違いないですよ 笑。
内面を抉ってきて、世界をも俯瞰しているこの曲の世界観がとてつもなく好きです。
よろしかったら是非に。
…と、まぁ。
ここまで読んでくださった方には「なにこれ?」と思われてる気がしますが、だいじょうぶ。私もそう思ってます 笑。
曲の紹介なのか、思想の話なのか。
はたまた曲を拝借しての自分語りなのか。
表現についてえらそうに語ってはいるものの、現時点で書けるのは、まだまだ稚拙な文章だということも、もちろん自覚しています。
そのうえで、どうかご容赦を。
それでもこの曲には、いろんな感情や考えを呼び起こさせる、不思議な力があると思うのです。
たぶん、ね。
本日の一曲は
もちろんこの「虹の都へ」なんですが、
これですよ!これ!なつかCM!!!
今見るとちょっとダサいけど、当時「大人って楽しそうだなー」っていう憧れを持たせてくれたCMでした。現実はこんな大人にはなれませんでしたが…。
この動画のコメント欄は、そんなにゃもしのような、おじさんとおばさんで溢れていますよ。読んでいるとちょっぴり切なくなるけれど、それもまた一興。