絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

2 件中 1 - 2 件表示
カバー画像

『何もしていない』訳ではなかった。~あの頃の私へ

皆様、こんばんは☆気を抜くとYouTubeやSNS、漫画などで時間が溶けているくーや。です。メンタルクリニックにお世話になっていた頃の私も今と変わらずネットがお友達みたいなところがあって、休みの日はパソコンに向かいながら、過食衝動で1日が終わることが多々。当時の私の理想=あるべき姿と描いていた姿は整理整頓された部屋で朝・昼・晩 ちゃんと自炊して自己研鑽する時間をとりつつ優雅な有意義な休みを過ごす。が、現実はスーパーやコンビニをはしごしてジャンクフードを買い込みそのごみも片づけられないままダラダラと過ごしてしまう自分。『あー、またやっちゃった』『どうして出来ないんだろう』『今日も何もしなかった』そんな風に自己嫌悪に陥っていたけれど今、思うと『何もしていない』訳ではなかった。自分が思うように出来なければ「0」そんなゼロヒャクの考え方だった私。あの頃の理想の姿はそうすれば、周りから認められるであろう姿だったそして、私自身が私を認められる、そう思っていたからだった。あの頃の私が 今の私を見たら、なんて言うだろう。今の私が あの頃の私に言葉をかけるとしたら『毎日よく頑張っている。ありがとう。』『今、私はありのままの私を認められるようになっているよ。』ここまで読んでくださりありがとうございます。今日も1日お疲れ様でした。どうぞご自愛くださいね。
0
カバー画像

「羨ましさと誇らしさ、その両方を抱えて生きていた」

比べてしまう気持ちと、誇らしく思える気持ちと シングルマザーで子育てをしていた頃、 どうしても人と自分を比べてしまう瞬間が ありました。 「いいな、あの人はパートナーがいて」 「羨ましいな、余裕がある暮らし」 そんな気持ちがよぎると、 胸の奥が少しだけざわつきました。 けれど同時に── 「私は、私にできるすべてをやっている」 そう思える自負や意地もありました。 その意地は、誰に認められなくても 自分だけは自分を褒めてあげたい、 そんな願いとつながっていたように思います。 羨ましさと誇らしさ。 現状を受け入れる潔さと、 まだ受け入れきれない揺らぎ。 その両方を抱えていたのが、当時の私でした。 思い返せば、あの頃の私は 「揺れてはいけない」 と自分を叱咤していました。 でも本当は、人と比べてしまう弱さも、 精一杯やっている自分を誇らしく思う強さも、 どちらも私自身。 その両方を抱えながら歩いていたからこそ、 なんとか毎日を越えてこられたのだと思います。 今なら、あの頃の自分に言ってあげたい。 「よくやってたよ。比べてしまう気持ちも 認めてあげてよかったんだよ」と。 不完全なままでも、ちゃんと生きていた。そのことを、いまの私が誇りに思っています。
0
2 件中 1 - 2