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デザイナー飲食店経営を考える

 現在私のデザイン仕事は飲食店が一番多いので、やはり「飲食店の経営活性化対策」を主眼において各デザインを考えなければならない。ということで、数十年間この業界で経験したことをまとめていきたいと思っています。 当業界は大手チェーンであろうと個店舗であろうとその立ち位置はローカルビジネスでありチェーン店はその一店舗一店舗の積みあがったものでしかありません。ということは日々の営業においては同等の位置づけであります。そもそも経営とは自らの技や心構えがどれくらい市場の中で認められるかに尽きるわけですから、当然顧客満足の追求が大事になってきます。あらゆる事業は常に顧客を創造していくことが大命題になっています。 外食業界も例外なくいかに顧客創造を実行していくかが経営活動の骨子であるわけです。  昨今のお客様の外食動向を観ると一律な消費活動から個別の感性によってさまざまな形で 消費がなされています。そのことは外食業50年の歩みを知ることで市場の成熟度を測り現代の顧客満足という構造を探ってみます。大衆という属性がどう変化していっているか、顧客を取り巻く経済環境、社会の変化において老舗といわれている会社はどのように対応していったのでしょうか、まずは「外食」の世界がどういう道を歩んでいったかを見てみたいと思います。働くお父さんたちの店がスタートラインだった。1960年代は高度成長時代であり都会のあちこちで町の食堂が繁盛していたころは何処にでもある、うどん、そば、中華そば、どんぶり、定食などのバリエーションの駅前食堂という業態。映画の場面でもよく使われていました。特に高倉健さんが出てた映画(題名は失念し
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デザイナーの提言

飲食店はメニューが大事・・・全く当たり前の話なんですが単なる味がいいとかという問題ではなく商品の意味訴求といった要点を踏まえつつ料理のレベル・ブラッシュアップを図りましょうという事です。「おいしいのは当たり前」です。今や食品メーカーですらハイレベルクォリティを実現していますから、飲食店に求められる期待値も相当なレベルが要求されるという事です。 外食産業の黎明期であったとされている1970年代の各店は皆横並びのラインアップ。ハンバーグを中心にした洋食ファミリーレストランの乱立により当時の日本人の外食習慣に変化を与えたのとマーケットの成熟化を推進していったといえます。 流れからみると洋食系ファミリーレストランに続き和食系のファミリーレストランの台頭によってバラエティ化が進んでいきます。チェーン企業として前者はロイヤル、すかいらーく(後のガスト)、スーパー系ではデニーズ、フォルクス、ビッグボーイ等、後者は関西のさと、藍屋、九州では庄屋などありいずれも何でもそろったバラエティレストランというジャンルになります。 お酒の飲めるバラエティ居酒屋チェーンも登場してくるのが1980年代のバブル期でした。それまでつぼ八も養老の瀧チェーンが席巻していた市場に、女性が入りやすい居酒屋チェーンが進出。新宿にあった天狗といった大400席を越える大型店が都会に現れてきます。このような経緯はますます市場の成熟化に拍車をかけ、人々の外食に対する目が肥えてきて、要求も高度なものとなって行くのは当然のことです。 そして原点回帰「メニューの充実」ということで店は専門色を訴求していく事になり結果的に横に広がっていった
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私の経歴・・外食産業とともにあり

おおよそ10年で自らが置かれているポジションが変わるという事を体験してきました。現在の私の仕事がどんな経緯をもってここにあるかを事例にしてお話したい。 10年前と現在を比べてみて、同じ業界にて仕事をしているのに求められている役割か異なってきています。大きな組織内での変化、人的資源の配置転換や責任範囲が変わっていくのは当然ありうることで、それは各人の体力的な問題やキャリアに関しての適材適所という事でよくあることなんですが、私のような「個人事業主・一人社長」であっても、そのポジション、なすべき課題も年を経るにつけてドラスティックに変わっていったのです。 私の職業の歩みは次のようなものです。35年ほど前に「飲食コンサルタント」として無謀ともゆうべき独立を果たした私は、「コンサルティング事業」とはいえ仕事がなければただの無職であるといった環境下に身を置いたのです。それまでの人脈と紹介者の存在もあり、最初の仕事は下請け的であり「飲食店のオペレーション指導」という立場で現場における接客指導だとか店長マネジメントといった領域を担当していました。これらの仕事は、大手チェーン勤務時代の経歴、その後の繁盛料理店の支配人としての経歴を評価していただいた飲食業オーナー、社長さんに感謝する所が大でありました。本来はアドミニストレーション担当「戦略立案参謀」として独立したかったのですが、まずは現場からといった仕事の原理原則を踏まえていったという事です。現場の店長や社長たちと一緒に汗を流し、苦楽を共にすることから一切は始まるという事なんでしょう。 上から目線、評論家的な発言、どことなく他人行儀な態度は厳禁と
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デザイナー家にこもる

 台風のせいで外出不可ということで、家にこもって徹底して勉強をすることにした。勉強テーマは「メニューデザイン」を仕事にしてるため外食事業の研究・・・マクロの視点からどう進化していったかを探ってみようと・・・ 昔々の事業形態からは大きく変化している外食形態。お客様の変化とそれに合わせた店の変化が著しいのであります。 戦後日本人の暮らしが徐々に豊かになり手軽なレジャーとしての「外食体験」が日常になり始めたのが1970年頃、関東の「すかいらーく」一地方のスーパーを経営していた会社が郊外型の所謂「ファミリーレストラン」なるものを出店開始瞬く間にブームを作り出した。ほぼ同時期に70年の「大阪万博」にて大成功を収めた飲食企業があった「ロイヤル」である。もう一つは親会社「イトーヨーカドー」系の「デニーズ」これは経営ノウハウを米国企業との契約によって日本に輸入した形になっている。 通常御三家と呼ばれ我が国における「ファミリーレストラン業界」をリードしていくことになったのである。 多くの企業が次々と業界に進出「月刊食堂」という月刊誌にてどんどん紹介記事が載せられていったのもこの時期で一時は100企業をこえた様相、まさしく雨後の竹の子のように全国的な出店攻勢がみられたのである。 もともと需給バランスの関係からどの店も儲かったようで次々にチェーン化されていったのである。 裏腹に割りを食ったのが「デパート食堂」家族のための食を提供していたのが、ここにきて急に頭打ちになって行く。その理由の一つに挙げられるのが料理提供時間の遅れ、同時に料理が並んでいくことがなかなかできず、食事をとる楽しさを演出できなかっ
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