シラーの「歓喜の歌」③第三節~死で試された友とは?~
過去の「第九歓喜の歌」ブログ連載では、この部分の解釈を「喜びが、私たちに生命の木、そして死で試された友=キリストを与えた」、と解釈しておりましたが、改めてシラーの詩の全体に目を通すと、キリストを名指しで限定的な存在として登場させるのは違和感になってきてしまいます。
ギリシア的な神々の世界観、ガイアや宇宙的な世界観からしたら、ここではキリストという存在はそぐわない気がしてきます。
Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur,
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.
すべての存在は喜びを、自然の乳房からもらう。
善なるものも、悪なるものも。
自分のバラの道に従うのだ。 Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod.
Wollust ward dem Wurm gegeben,
Und der Cherub2 steht vor Gott.
喜びが、私たちに祝福を与え、ブドウの木(生)を与えた。そして死で試された友を与えた。快楽は虫に与えられる。
そして、ケルビムが神の前に立つ。
Reben、ブドウの木。前回ベートーヴェン「第九 歓喜の歌」の時は、カバラにおける「生命の木」として解釈したが、Leben、つまり「生命」そのものと解釈した方が自然。
それに、全体的なギリシア・ローマの世界観からすると、ブドウと来たらディオニュソスという神がいる。豊穣の神、または酒飲みの神バッカスです。
前回、ここに気
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