アイデアを出す大半は考えること=アイデアを出すのが手間=考えるのが手間なのでは?
この仮説に基づくと、考えるのが面倒=アイデアを出すのが苦手となりそう。ただ、実際は傾向があるだけで仮説ではあるんですが。ここで問題は「考える」とは何か?ということになってきていて。考える=思うではないし、考える=悩むでもない。分かつ、分かる、理解する、というのが考えるに近い。つまり、分かることだと「アイデアを出す」動きにならないので、「物事を理解する」という行為それ自体が蓄積していくと、多分土台となって、それが考えるための重要な土台、柱でもいいし、そういうものになる。よって、・アイデアとは考えること・考えるとは分かつこと・一体の土台を理解で積み上げることまでは明確。ここに最後に、アイデアは組み合わせであること。つまり、一定の土台が自分のものならば、違う人のそれと組み合わせてみること。すると、何が言えるか?・自分で一定程度分かつこと、積み上げること(自己作業、他者非介在)・積み上げたらぶつけること、組み合わせること(自己作業的、他者を知るのでやや他者介在)まではいえそう。そして最後に、・その考え=アイデアを出してみる、やってみること(自己から離れて、他者へ向かう)というようになる。アイデアが考える作業ではあるものの、自己作業がベースのステップ1があり、そこから積み上げて自分の分かつことをまとめたり言えるようになるステップ2があり、最後はそれをまとめて相手にぶつけてその反応修正(多くのことは自分が思ったように説明できないし、またうまく伝わらないので)のステップ3などとなりそう。ここまでで明確には、アイデアを考えたいとか、色々思いつきたい人で、そこまで「考え」にフォーカスを当てないの
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