(147日目)”いじめ”は無くならない。
仰々しいタイトルですけどもまぁ、自分が思ってることをツラツラと書いていこうかと。「いじめ問題」っていつまで経っても無くならないですよね。どんなに痛ましい事件になろうがメディアで取り上げようが何も変わることがないです。いじめに対して私が思うことを結論からか言うと『いじめる側に99%の非がある』と言うことです。残り1%の理由については後ほど書きます。ちなみに私は小学生の低学年ごろに”いじめられた経験”と中学生になってから”相手をいじめた経験”のいずれもあります。なので両者の視点を踏まえて書いていきます。まず”いじめる側”の視点ですがおそらく「子供時代」のそれと「大人になってからの」それでは意味合いが異なると思うんです。子供時代のいじめる理由は一つ。『楽しい・面白いから』です。1)いじめることで生じる相手の反応を面白がる2)いじめるグループ同士で攻撃対象について盛り上がれる(加えて「自分に危害が加えられないようにいじめる側のグループに加担して攻撃を回避する」といった本能的な行動も現れると思います。)「いじめ」はいじめる側である自分たちと異なる行動・言動・風貌をしている者に対し一定の「興味」が沸くことで生じます。そして同じ価値観を共にする者たちと同じ行動を取り、面白さを共有していきます。だからこそいじめる者同士結束がさらに固まり内容がエスカレートしていくのでしょう。しつこく、何回も、さらに攻撃的に。このループが続きます。ただ、大人になると少し意味合いが変わってきます。子供時代のいじめる理由に加えて〜自分と異なる考えを持つ相手を コミュニティから排除しようとする。〜と言う理由が追加されま
0