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・260号・ハウスメーカーの弱点

家を建てる前のお客様、ハウスメーカーと競合中の住宅工務店(ハウスビルダー)さん、ご参考にお読みください。目次 1・展示場やカタログにコストを掛けすぎる 2・限界にきている展示場の住宅販売 3・いまでは、大手ハウスメーカーは高額所得者しか相手にしていない 4・営業マンのサービスは無料ではない5・サービスと言われている経費は契約をしたお客様が負担 6・ハウスメーカーの構造体は贅肉のない極限構造 7・ハウスメーカーはコストダウンの努力を利益に計上してきた 8・住宅は地域のハウスビルダーが主役 1・展示場やカタログにコストを掛けすぎる  ハウスメーカーが抱えている問題点のひとつは、展示場、ショールムやカタログ、パンフレットなど、WEB、販促ツール類、広告宣伝費に経費をかけすぎていることです。  まず、展示場の販管人件費は、展示場建設費が1億円、5年で償却とすれば償却費2,000万円/年。大規模総合展示場では出店費と集客広告宣伝、イベント費、維持管理費が2,000万/年。常駐営業+女子計5人、人件費3,000万/年。合計7,000万/年間。1展示場で契約15件/年として(4,000万×15戸=60,000万)粗利45%(本社20%+営業所25%)で27,000万/年。営業所だけに限ってみると、粗利25%なので15,000万円の営業利益ということになります。 ここから展示場だけの販管人件費が7,000万。15,000万-7,000=8,000万円。そこから展示場運営管轄の営業所の設計、現場管理、総務経理、役職者の販管人件費を差っ引くといくらも残らない。もはや展示場が集客、売り上げ、利益計
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253号ハウスメーカのデザインは早い時期に陳腐化する

 ハウスメーカーのデザインは概ね個性がなく流行で商品開発をしています。どこかのメーカーが庇のない箱スタイルのデザインを開発して、そのデザインがヒットすればどこもかしこも同じものを販売しています。やがて、珍しくなくなって飽きられてくると新しいデザインのものを販売する。5~10年が一つの流行サイクルとなっています。  外壁材のサイディング柄はその典型です。阪神淡路大震災の後、復興需要戸数をこなすため左官工事に比べて、サイディングが手っ取り早く、コストも抑えられたので多くの住宅に使われ普及しました。一見豪華に見えるのでお客様にも好まれました。当時、横板目柄やタイル柄調、そして、レンガ調、飽きられてくると石目柄、モザイク柄調へ。いまは、割石肌調というように流行が変わっています。玄関ドア、外建サッシ、内部ドア、キッチンデザイン、住宅設備も同様です。デザインを見れば私ら専門家が見ればいつ頃建てられた家かわかります。  住宅、建材メーカーには、デザインをしっかり勉強した設計士が少ない。また、デザインポリシーもないから、取り敢えず流行っているデザインにしておけば、建材メーカーのデザイナーも、ハウスメーカーの建築士もお客様も安心といったところです。  ところが、みんな同じデザインにするから最後は、価格競争になってそのデザインは終わってしまう。いわいる護送船団デザインとなっています。みんなで渡れば怖くないといったところです。 従って、ハウスメーカーのデザインは5年もたてば飽きられて、20年もすれば陳腐化し、30年も経つとすっかり時代遅れになってしまう。そこで建て替えとなってしまうわけです。    
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戦後~1970年に建てられた木造住宅は要注意

 日本建築の代表とも言える法隆寺のような神社仏閣や、桂離宮に見られる数寄屋建築などは、代々、受け継がれてきた技量のある棟梁、大工、職人さんによる伝統的な工法によってつくられていて、その後も建築守りによって代々、維持管理され、補修、修繕、改築、大改修が繰り返えされて今日に至っています。  そのことを世界最古の木造建築である法隆寺は1400年以上の時を経て、風、雨、雷、地震に耐えて現存しています。だから「木造住宅も地震に強く長持ちする」というのは詭弁にすぎません。  戦前の伝統的工法による木造建築と戦後の木造住宅とは全く異なる工法です。というのも戦後、1950(昭和25)年に建築基準法が交付され、建築確認申請業務は義務付けられたものの、大工でなくても誰でも建築のできる木造住宅となってしまいました。確認申請といっても、配置図、平面図、立面図を添付して申請、その申請書に添付の建物が建築基準法に合致さえしていれば、受け付けた行政(建築審査課or建築指導課)は建築確認通知書として交付していました。     ただ、竣工検査済書を受領してはじめて、その建物は合法適合建築物ですが、竣工検査済書発行の依頼をしなければ、申請書に添付した建物と多少違っていても近隣からの指摘、建築パトロールで引っかからなければわかりませんでした。なので、大半の大手も、中小工務店、建売業者は竣工検査の依頼をしませんでした。また、当時は行政の構造体検査はなかったので施工業者次第のところがありました。銀行も確認通知書があれば融資は実行されていました。 つまり、申請とは異なる住宅を建てていても、竣工検査依頼手続きさえしなければ
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M・ODEのブログ・金利上昇で住宅着工数は減じるか

 1970年代のことを振り返ると、73年/185万戸をピークに83年/115万戸まで一度減じてから、バブル崩壊(90年)に向かって170万戸まで増加しています。 この時、住宅ローン変動金利(以後金利)も、86年/5%から89年/8,5%まで上昇しています。  このように、バブルが崩壊するまで金利上昇とともに住宅着工数は増加しています。一般的には、金利が上昇すれば住宅着工数は一時的には減じるが、当時はバブルで景気が良くインフレ以上に所得も上昇していました。90年まで金利上昇でも着工数は減じることなく増加していて、住宅は高級、高額住宅のほうがよく売れて大手住宅メーカーの業績も好調でした。  ただ、現在と異なるのは、当時は金利上昇以上に株価の上昇、不動産の値上がり、旧市街地の地上げ、含み資産増加による買い替え、団塊世代の住宅購入、銀行の貸付競争などがあったという背景がありました。 ・住宅ローン変動金利が8%台になると要警戒  FRBは、22年1月から、インフレ抑制のため段階的に金利上げをスタートしました。その後も2月、3月と連続引き上げを受けて、3月NYダウは36952円の史上最高値を付けた後、9月の28725円まで下げ続けて現在は34,500円台で上に行くか下げるかの慎重な値動きをしています。  さて、日本のバブル崩壊時は金利8,75%に達した時に株式も暴落しました。 また、米国08年リーマンショック(サブプライムローン問題)時も金利8%台に乗せたあとNYダウも暴落。米国は、いま当時の状況に似てきています。22年2月、2,65%から23年8月金利7,06%まで上昇しています。それで
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コロナ後、住まいの形が変わる

 過去の経験則から、大きな社会の変化や経済ショックの後、住まいの形やライフスタイルが変化しています。1945年、第二次世界大戦終結。1973年、第四次中東戦争(石油ショック)。1989年、日本でバブル崩壊。2001年、米国発ITショック。2008年、米国発住宅ローン不良債権問題でリーマンショック。2020年2月、世界コロナショック。このように概ね10~20年サイクルで株式、景気調整が起こっています。そのたびに、住まい方、住まいの形も変化しています。   終戦前の住まいは兎も角として、戦後の住まいは塗り壁から、板張りへ断熱材もなくお粗末なものでした。やがて、東京オリンピック、大阪万国博覧会を控え、公団住宅やニュータウンの建設が始まり、建築基準法運用も強化され、住まいは、少しずつ近代化が図られて、住まいの間取りも○LDKと定義づけられ、LDK中心の洋風生活スタイルへと変化していきました。  73年、石油ショックの後は、断熱、省エネの観点からビルは大きな開口部から小さな窓に。住宅は、断熱材として、壁の中にグラスウールを入れ始めました。このころから、住宅を大量供給するためにプレハブ住宅が主流となり、やがて、高度経済成長期となり、大量消費が謳歌され、今度は消費が美徳。89年のバブルに向けて、ビルは総ガラス張り、住宅の窓も大きくなり、大型、高級住宅化していきました。  バブル崩壊後、景気は低迷、中流と言われた人たちが大きなダメージを受けていて、新築住宅が大幅に落ち込んでいきました。そのころ、九五年一月、阪神淡路大震災があり、被災された方々には、言い方が悪いかもしれませんが、住宅業界にとって
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地名、漢字でも分かる地盤の強弱

 近年、洪水、浸水、がけ崩れ等、多雨による災害が増えています。まず、あなたの住んでいる地域がどのような地域であるのか市町村などのハザードマップで危険地域にあるかも調べることが出来ます。また、昔から使われている地名や漢字にはそれなりに根拠があります。98年赤坂、99年鴻池山王、05年渋谷、大都会東京で洪水被害がありましたよね。この地名が示すように坂、池、谷等は水が集まりやすい低地を意味しています。 ・水にかかわる地名  例えば、さんずいのついた漢字「川、河、江、流、浮、瀬、須、灘、浜浅、洗、浦、津等」川崎、多摩川、河瀬、一之江、流山、浮島、杭瀬、須磨、横須賀、大洗、浦安、勝浦、大津などは、川辺や海辺、湖のそばであったことを意味しています。 ・低地を意味する地名  「谷、沢、坂、窪等」越谷、渋谷、藤沢、赤坂、荻窪等、小規模な谷や沢、坂下は低地なので水のたまりやすいところを意味します。赤坂見附駅、鴻池山王駅、渋谷で浸水がありました。大都会だからといっても安心はできません。地方に行けば、まだまだ整備されていないところが多くあります。・台地や高地にかかわる地名  「丘、高、山」などの漢字が使われているところは、地盤が安定しているところを意味します。旭丘、緑が丘、高森、高槻、高山、千里山、筑波山、狭山等。このように、その地域のだいたいのことは地名で分かります。だからといって安心ではないので、個々の建築する場所には何があるかわからないので地盤調査は必須です。 *こんな場所は、特に注意が必要です。 ・不同沈下  不同沈下は、建物が不均一に沈み込む現象です。地盤が建物の重みに耐えられずに起こる現
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1965年~住宅業界半世紀の変遷

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