強い心は剋された珠玉のこと
プレミアムライフナビゲーターのchiyoko oです。今日は「強さ」について考えました。力をつけて、力を誇示して、力を見せつけることが強いこととは思いません。私は「勝てば勝つほど垂れる稲穂かな」という言葉が好きです🤗長年、「心の養生」を追究するフィールドで活動していて結論としては「心の故障」は「心の分裂」「心の破綻」「心の無秩序」からきておりまして(ディスオーダーと言います)「心の健やかさ」とは、分断されたり、忌み嫌ったりした一つ一つの「もの、こと、人、価値観」を、いかに受け止め、受け入れ直し、それらを再統合した状態で、新しいエネルギーの進路を発見して、さらに現実でそれに時間を与えることができるようになっていくのかということに左右されると認識しております。例えば私の例で考えますと私は父との相性が残念なことに宿命的に良くないことを決定づけられておりどうしようもなかったのですが思春期の頃、父への反パクから、「最高学府(トップ)は嫌い」という自己認識を育てました。(父は若い時分に、たまたま運が良くて東大卒)しかしそのことのおかげで私は私らしいパワーを損なうことになります。仮に、父が最高学府でなければ私のピュアな魂は「トップ好きの超勝気」😊なのに、「トップは嫌い」と決め込んだせいで自ら、そこを見失ってしまったんですねー。すると当然、パワーは半減。ガソリン不足の車のような状態です🤗トップを意識するとパワーが湧き出るのにトップを削り落としたせいで、エネルギーが的を失い蛇口から水が出っ放しかのごとく散逸的に時間が流れました。自分で自分の健やかさを分断してしまったのでした。しかし、ありがたいこ
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