自分を認められない「自分」の正体
自分って何だろう?と思ったことがありませんか?
「自分」という人間が「自分自身」でわからないと、時々「自分」を見失ったりすることがあります。
「自分」を見失うということは、自分で自分を脱価値化してしまい、生きている現実感がなくなります。
これは通常の人でも起きる時がありますが、今回は生来の病的なものについて書きます。まず最初に「自我」(精神分析学者のジークムント・フロイトの精神分析学で定義した概念)を理解しましょう。人の精神は
①「エス」無意識に「〜したい」といった「快楽原則」に基づいた本能的な行動や反道徳的な「欲求の塊」
②「超自我」は「〜してはいけない」という良心や道徳的な考えをする「道徳心」
③①と②は衝突するものだけど、そのバランスを取る機能が「自我」です。①エスと②超自我が衝突すると、心の中で葛藤が起きる。
これを「現実原則」に従って現実的な考え方や対処方法へと調整するようになる。
②超自我と③自我が働くと、①エスは心の中に押し込められ抑圧される。
③自我の機能が適切で①エス③自我②超自我のバランスが保たれれば、その人の精神や人格が健康であり、発達過程において人格を成長形成するわけです。私は小学校3年の時に、祖母に悪戯は楽しい。という気持ちを人は誰でも持っている。
それを良い事か悪い事か。を判断するのが道徳心だ。
子供の頃から、道徳心はきちんと躾けてある。
やられた相手の立場も、きちんと考えさせて答えさせてきた。
これからは、友達が一緒に悪い事をしようと言っても、一緒に誰かを苛めようと言っても、教えた道徳心を思い出して、やられた相手の事を考え、自分で判断しなさい。と言
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