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『忍びの家 House of Ninjas』を観た感想

まだ5話までしか観てないけど、ここまでの感想を書きたい現代に忍者がいたら…的な発想で作られた、原作がないオリジナル作品とのこと忍者という題材は物書きならば大なり小なり惹かれるものだと思うもちろん私も忍者や侍が活躍する物語が大好きだ大好きだからこそ自分なりのこだわりを持っている私が考える忍者は、武士が行わない(行えない)任務を遂行する者たちだ武士はメンツが重要だが忍者にはそれがないだから目的を達成するためなら手段を選ばない忍者に汚れ仕事をさせておいて、武士は表面上は堂々と物事を進めるフィクションの中で忍者はいつしか超常的な技を持つスーパー戦士になってしまったが、本来は武士に下働きをさせられる立場の弱い人たちだそんな自分なりの忍者観を持ちつつ、視聴を進めたこの作品に出てくる主人公とその家族は、忍者という稼業を辞めて普通になろうとしている設定だしかし忍びの技を持て余した妹や母親は普通であることを拒否して勝手に動き回る主人公も恋愛感情によって禁を解き、一番頑なだった父親も家族のピンチに駆けつけ大立ち回りを繰り広げる全く忍んでないぞ観ていくほどに、私の評価ポイントが落ちていったそして、家族が忍者という生き方を受け入れた後がひどい「忍者って素晴らしい!」と言わんばかりに、家族みんなで笑い合うんだからあっけにとられた忍者として生きることがそんなに素敵なものならば、普通を目指さなくてよかったんじゃないか?普通であろうとした時間と努力は、大した葛藤もなく捨て去っていいものなのか?そう思ってしまってから、この作品に対して著しく興味を失ったあまりにご都合主義でありリアリティがない忍者としての悲哀も普
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(*'ω'*)どれくらいの辛口が好み?

料理の話ではなく、批評やコメントなどの辛口に関してです(笑)というのも、題材が同じでも辛口の成分(有無、内容、種類、強弱、量等)で、こちらの受け取り方や評価、感想も変わったりします。ここで注意点(´・ω・`)その辛口を受け取った際、不快に思ったりする。この場合、発信者の辛口が(いつもより)強めだったorこちらの肉体精神の状態が辛口を受け付けたくない状況だった かで、自分の感想や評価は多少変化するでしょう。なので、辛口の人やモノ、コンテンツに接する際は、上記の点を心のどこかにもっておくほうがいいです。そうすれば適量の辛口を楽しむマインド(もしくは辛口への耐性マインド)を身につけられるかもしれません(*'▽')
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(ーωー)考察批評に資格はあるのか?いるのか?

とあるお笑いをよく考察する某芸人さんが、批判されてるのをちょいちょい見た際、疑問などが浮かびました。それは、考察批評に資格や適性は必要なのか?その芸人さん私生活で少しもめ事&めちゃくちゃ売れているわけではない(売れてないわけではない)という方、考察するたびその資格ないだろや説得力無いと書かれているんですが、別に対象をディスった考察ではなく、むしろ評価する分析に対して。でその人芸人さんを批判する人たちは芸人ではない・・・。(なお自分はその考察基本納得できる派)(・ω・)人に何か言うということの難しさを改めて感じます。これがすすむと政治のことは専門家しか語れないとか、清廉潔白な人にしか発言ができなくなる、その清廉潔白さも定義が曖昧で個人の価値観に左右されるわけで・・・。ただ極論 暴論 陰謀論 を常に言う人は資格や適性はないという見極めがいる(できる)かなと思います(/・ω・)/しかし、考察が正しいか正しくないか?が1番重要だと思うんですが、言う資格or面白いかが、同列ないし最優先にみないようにしておきたいと思うものの、正直微妙な人がまぁまぁ雑な批評意見をズバッ というのを見ちゃうとう~んと苦言の1つも言いたくなりますね(笑)(・ω・)
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【欲求と抵抗】どんなに嫌な人や出来事も、自分が求める隠されたメリットから構成されている

「太陽と月」について太陽のように輝いている人に引かれること、ありますよね?「あの人は太陽で、私は月…」と思うこと、私も経験あります。人として目立ちたい、自分が中心になりたい、そう願う人はたくさんいます。太陽のように輝きたい、みんなの注目を浴びたいと思うのは、自然なこと。ただ、ここで大事なこと、太陽のように目立つことだけが素晴らしいわけではないこと。実は、月のような静かな存在もとても価値があることに気づいたのです。太陽も月も、どちらもこの世界にとって必要な存在。たとえば、ある人が自分よりも目立っていると感じるとき、「私はどうして月のようにしか見えないのだろう」と感じるかもしれません。でも、その太陽のような人がいるからこそ、私たちが月のように輝けるのです。月も太陽も、それぞれの場で最高の輝きを放っている。そして、お互いが存在することで、その輝きが増していくのです。だから、自分が月だと感じたとき、悲しみや劣等感を抱く必要はありません。それぞれの存在が、この宇宙にとってとても価値があるのです。私たちは、自分の存在の価値を見つけ、それを大切に生きていくことができます。そして、その生き方を通じて、自分の中の輝きを放つことができるのです。今日も、この言葉を共有してくださる皆様に感謝します。りょこぴー♡
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怒りは必ずしも悪いことではない

二十数年前、私はある少年マンガの二次同人誌を作っていました。前のジャンルでは小説を書いていましたが、ふと描いてみたくなってマンガ本を出しました。あまりに下手すぎてほとんど売れませんでしたが、私はマンガが描けたというだけで満足していたのです。ところがそのジャンルで「一番売れている字書き」と言われていたAさんが、私がス●ムダ●クの小説同人誌を出していたことを知り、自分も同じジャンルだったから読みたいと言ってくれたのです。私は出した本を全種類Aさんにあげました。感想など期待してはいなかったのですが、数日後にAさんからメールが来ました。それはこのような内容でした。「文末が『〜だ』ばかり続いて単調。文頭は一マス空けること。エロ描写が多すぎるし心情描写が少ない。三点リーダーが多すぎる」私はあぜんとしました。Aさんが送ってきたのは感想ではなく、上から目線の批評だったのです。しかも技術的なことが主でした。えっなんで?私、もう小説書くつもりはないし、批評してくれと頼んだわけじゃないよね?その後、猛烈に怒りが湧いてきました。そしてAさんが私や友人のような弱小サークルのことをアゴで使っていたこと、売れているサークルさんにすり寄るような人だったことを思い出しました。同じく弱小サークルをやっていた友人は「あなたの描いてる●●(キャラクター)は原作の●●とはちがう」とAさんに言われて泣いていました。また私は、サークルの申し込みを忘れたAさんに、スペースに自分の本を置いてくれと頼まれて置いてあげたはいいものの、彼女は売れているサークルさんに入り浸って販売を手伝おうともしませんでした。さらに彼女は机の半分も埋
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【人前で話す、緊張する】人前で話すときに抵抗があるのは、、、

人前で話すのことが苦手な理由は、一般的に「自分とは違う役割を演じてしまうから」と言えます。これについて詳しく説明していきましょう。しかし、なぜ人前で話すことに抵抗を感じるのでしょうか?この抵抗には、深層に隠れた感情が関与していることがあります。トラウマを経験すると、その時の感情を封印し、忘れようとすることが自然な反応です。しかし、これらの感情はいつも私たちの内部で振動し続け、再び表面化し、昇華される時を待っています。それゆえ、封印した感情も実は私たちの内部に存在し、似たような経験を引き寄せることで再び気付かせようとします。さて、これらの感情に触れてみましょう。どのような経験がこれらの感情につながったのでしょうか?そして、その経験からどのような信念や考えが生まれましたか?人前で話す際の感情を感じるワークを試してみましょう。恥ずかしいと感じたこと失敗した経験言葉が出てこなかったことから生じた恐怖感多くの人が、過去の失敗体験から再び同じ失敗を繰り返すことを心配しています。最初は楽観的に挑戦し、結果が思わしくなかったことにショックを受けることがあります。頭が真っ白になり、何とかしようとするものの、自分の力ではどうしようもないと感じます。これらのネガティブな経験により、自己評価が変わり、自分に対する信念が固まってしまいます。しかし、自己評価を変えることはできます。自分が他の誰かと同じようになる必要はなく、多様性と個性が強みです。頭が真っ白になることは、他の誰かになろうとする結果であり、自己評価を見直す機会です。自分以外の役割を演じることは、演技の練習不足からくるものであり、自己認識を改善
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イラストや動画依頼について

何となくふと思ったので、備忘録として書いてみることとします。こんにちは。いくらか作成していただいたことがあり、色々と思うところはありましたと。表に名前を出して成功とか失敗とかは言ったら気分を害される方もいらっしゃるので、平穏な世界を守るためなら言わない方がいいのでしょう。依頼者にとって、期待する品質はサンプル以上であるわけでそのために時間や対価を支払ってますと。そこの信頼関係が気づけないと、ご本人はもちろん同ジャンルの方にも怖くて依頼しにくくなります。そこには「年齢・性別」も含まれます。後、動画作成依頼の時のイラスト依頼の方法や、動画担当の方へのアプローチは少なくとも自分では上手ではないと思いました。予算を決めてる場合、イラスト動画を両方とも依頼するが正しいのかなと思う時はあります。昔だとイラスト自体でも原画と塗りで役割が違っていたようで、たくさんの人が楽しそうにしてたんかなぁと思いました。基本的に大きなものにしないなら、好きにしてもまぁいいやとなるのですが個人からすると動画は大きなものの認識なのでむずかしーなと思いました。
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