怒りは必ずしも悪いことではない

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コラム

二十数年前、私はある少年マンガの二次同人誌を作っていました。
前のジャンルでは小説を書いていましたが、ふと描いてみたくなってマンガ本を出しました。
あまりに下手すぎてほとんど売れませんでしたが、私はマンガが描けたというだけで満足していたのです。

ところがそのジャンルで「一番売れている字書き」と言われていたAさんが、私がス●ムダ●クの小説同人誌を出していたことを知り、自分も同じジャンルだったから読みたいと言ってくれたのです。
私は出した本を全種類Aさんにあげました。

感想など期待してはいなかったのですが、数日後にAさんからメールが来ました。
それはこのような内容でした。


「文末が『〜だ』ばかり続いて単調。文頭は一マス空けること。エロ描写が多すぎるし心情描写が少ない。三点リーダーが多すぎる」


私はあぜんとしました。

Aさんが送ってきたのは感想ではなく、上から目線の批評だったのです。
しかも技術的なことが主でした。

えっなんで?
私、もう小説書くつもりはないし、批評してくれと頼んだわけじゃないよね?

その後、猛烈に怒りが湧いてきました。

そしてAさんが私や友人のような弱小サークルのことをアゴで使っていたこと、売れているサークルさんにすり寄るような人だったことを思い出しました。

同じく弱小サークルをやっていた友人は「あなたの描いてる●●(キャラクター)は原作の●●とはちがう」とAさんに言われて泣いていました。

また私は、サークルの申し込みを忘れたAさんに、スペースに自分の本を置いてくれと頼まれて置いてあげたはいいものの、彼女は売れているサークルさんに入り浸って販売を手伝おうともしませんでした。
さらに彼女は机の半分も埋めるほどの量の本を送ってきたくせに、私が参加費を払ったスペースに多少のお金を払おうともしませんでした。
そして次の言葉で、私の怒りにさらに火を注ぐことに。


「私、○○さん(売れっ子サークルさん)とお茶行くから、荷物は送っといてね」

同人誌即売会に参加したことある人はわかると思うのですが、荷物を宅配便で送るというのは一番の大仕事なのです。
なぜならみな同じ時間帯に帰るので、宅配便の受付を待つ列はかなりの長蛇です。
台車がなければ、本を詰め込んだ段ボールをずっと手に持たなければなりません。
自分の分で一箱、Aさんの分一箱を一度に持っていくことは難しいので、二回列に並ぶことになります。しかもAさんは伝票すら書いてはいませんでした。

その時はさすがに「自分の分は自分で送って」と言うことができましたが、私はAさんの身勝手さにほとほと呆れました。

彼女をぎゃふん、と言わせるには。
「字書きとして彼女より上に立つ」ことです。

私はそれまでまったく興味がなかった商業ボーイズラブ誌を買い込み、各社の新人賞をチェックしはじめました。
そしてB社がBL界で一番人気があることを知り、B社の傾向を調べました。
抒情的で甘々な作品が多い。大人×美少年的なカップリングが多い(当時)、と見た私は、まったく真逆の作品を書き始めました。
同世代の男子たちの直情的なラブストーリーです。

私のもくろみは当たり、なんと初めて書いたオリジナル小説がB社新人賞の末席にひっかかったのです。
その後もう一度新人賞に投稿し、次はもう一つ上の賞を頂くことになりましたが、その時のBクラスにAさんらしき人の名前を発見して私はほくそ笑みました。

勝ったぜ。ざまあみろ。


かくして私は、B社では本を出すことができませんでしたが、次に出したC社でまた新人賞を頂き、そこでお仕事をすることになりました。

元々小説家志望というわけではなかったので、その後さまざまなことで苦労することになるのですが、Aさんという人がいなかったら本を出すことも小説家と名乗ることもなかっただろうな、と思います。

私の「バカにされた!」という怒りは「Aさんに復讐したい!」を経て「小説家になりたい!」へと昇華されました。
元来、なまけものの私でしたが、怒りをエネルギーにして発奮できたのです。

怒りは正しく使えば発火材料となるのです。



発奮材料にしたい方も、自信をつけたいという方もお待ちしております。










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